
なぜ賃上げの二極化が起きているのか?
2025年の春季労使交渉では、集中回答日を待たずに満額回答を行う企業が目立ちました。中には、2月に労働組合からの要求書を受け取ってから、わずか数日で満額回答をした企業もありました。こうした企業は、今後さらに深刻化する人手不足を見据え、既存人員の引き留めや新たな人材の確保を目的として、継続的な賃上げを経営戦略の一環として位置づけています。そのため、早期回答を通じて積極的に賃上げを行う姿勢を社内外に発信し、優秀な人材を引きつけようとしているのです。
一方で、賃上げが難しい企業も多くあります。最低賃金の引き上げや新卒社員の初任給調整といった外部要因への対応に追われ、限られた原資を人材確保に優先的に投じざるを得ない状況にあります。その結果、既存社員の給与引き上げに十分な資金を回せず、苦境に立たされています。なぜ、同じ環境下にあって「持続的に賃上げができる会社」と「賃上げに苦しむ会社」が生まれるのでしょうか。その違いを探ってみたいと思います。
そもそも賃上げとは何か
日本企業における「賃上げ」は、「定期昇給(定昇)」と「ベースアップ(ベア)」を合わせたものです。一般的に、賃上げ○%という表現はこの2つを合算したものを指します。多くの日本企業では、過去30年にわたり定昇のみが行われ、ベアは実施されてきませんでした。長年勤続することで徐々に賃金は上がっていきますが、会社の制度として賃金テーブル自体を見直すことは積極的になされてきませんでした。その結果、日本全体でデフレーションが進み、欧米諸国や一部アジア諸国と比べて、相対的に賃金が低下する状況が続いています。また、有期雇用の社員には勤続年数に応じた昇給制度や、昇格によってより高い水準の賃金テーブルが適用される仕組みが整っておらず、パート・アルバイトと正社員との間に賃金格差が広がる一因となっています。
近年では、ジョブ型や職務基準の人事制度・報酬制度に移行する企業が増えています。ジョブ型では、原則として職務が変わらなければ報酬も変わりません。評価によって報酬額が変動する仕組みを取り入れている場合もありますが、「定昇」という考え方は基本的に存在しません。そのため、その職務の報酬水準自体を引き上げるベアがなければ、賃上げとはなりません。
一方、メンバーシップ型に多く見られる職能や役割を基準とした人事・報酬制度では、勤続年数とともに能力や役割の拡大を前提とし、同じ仕事であっても翌年は報酬が上がる設計になっていることが一般的です。これが「定昇」にあたり、さらに等級の昇格による昇給と合わせて、年間でおおよそ2%程度の賃上げがなされてきました。「失われた30年」と言われる長い低成長の時代、日本企業は人件費の前提として「毎年2%程度の賃上げ」を想定し、制度的には評価による差をつけながらも、基本的な構造を変えることはあまりありませんでした。
しかし今、「賃上げ6%」といったこれまでにない水準が求められる中で、この前提自体を見直す必要が出てきています。政府は、価格転嫁による利益の確保や、労働生産性の向上といった方向性を示していますが、実際には「どうやって賃上げを実現するか」だけでなく、「どのような報酬の構成にするのか」「どんな成果に対して報いるのか」といった、企業の報酬戦略そのものが問われているのです。
賃上げできる会社の特徴
賃上げには、定期昇給やベースアップ、最低賃金の引き上げなど、さまざまな形があります。ただ最近では、「とにかく上げること」よりも、「それをどう継続するか」に関心が移っています。つまり、持続可能な賃上げをどう実現するかが、企業にとっての大きなテーマになっているのです。持続的に賃上げしている企業には、いくつか共通する特徴があります。賃上げを単なる報酬の増加ではなく、企業全体の競争力を高める重要な戦略と位置づけているのです。
まず、賃上げが可能な企業は「要員計画が明確である」点が挙げられます。「今後の経営戦略に必要な人材」や「投資すべき専門性」を明確にし、生産性の向上も想定した上で、人件費全体の配分を戦略的に検討しています。一人当たりの賃上げ率に注目するのではなく、総人件費をどう配分するか、そしてそれによって社員一人ひとりにどれだけの生産性向上を求めるかという視点で考えています。
その結果、一律のベースアップではなく、企業の成長戦略に沿った重点的な賃上げを実施します。特定の職務には投資的に賃上げを行い、必要な人材や専門性を持つ社員にはメリハリをつけた昇給を行うなど、差別化を図っています。こうした戦略的な賃金政策は、社員へのメッセージともなり、組織の代謝や成長を促進する効果があります。一方で、賃上げが難しい企業は、常に「対応策」として賃上げに取り組んでいます。直近1年の人件費予算の範囲内でやりくりをせざるを得ず、対処療法的に初任給の引き上げやパート・アルバイトの時給アップに頭を悩ませているのが現状です。
賃上げの効果を最大化するには?
今後も人手不足の状況は数年続くと予測され、「賃上げ」の潮流も継続すると考えられます。持続的な賃上げを実現し、企業成長へとつなげるには、その効果を最大限に引き出す必要があります。そのためには、以下のような戦略的な取り組みが重要です。
賃上げは「先んじて発信」する
せっかく賃上げを行っても、競合企業の後手に回ってしまっては、優秀な人材の確保にはつながりません。ベンチマークとなる企業の報酬水準を意識し、特定の職種ではインパクトのある数値を提示することが求められます。
人材ポートフォリオの設計と連動させる
外部の採用市場に対して競争力のある水準を提示するには、どの分野にどれだけ人材投資を行うかを明確にしなければなりません。要員計画に基づいた人材ポートフォリオを策定し、今後の事業に必要な人材へ思い切った投資を行うことが可能になります。
報酬構成を見直し、適正に配分する
賃上げは一時的な対応ではなく、持続的に行える仕組みづくりが重要です。賞与や退職金なども含め、短期的な処遇と長期的な貢献に対する報酬をトータルで設計する必要があります。賞与や退職金を見直し、月額給与を引き上げる企業も増えています。また、時間外手当(残業代)の原資も見直しの対象です。生産性を向上させ、時間外労働を減らすことで、その分を月例給に還元する仕組みを整えれば、持続的な賃上げが実現可能となります。
持続的な賃上げのために企業がすべきこと
持続的な賃上げを実現するためには、単なるコスト増と捉えるのではなく、将来の企業成長への“投資”と位置づける視点が不可欠です。どの人材に、どのような形で投資するのかを、事業戦略と連動して設計し、人件費の適正な配分と配分の根拠を明確にしていくことが求められます。
「人が足りないから賃上げする」「他社が上げたから上げる」といった受け身の姿勢ではなく、経営戦略の一環として賃上げを“仕掛ける”企業こそが、これからの人材を惹きつけ競争力を高めることができるでしょう。
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