企業に70歳までの就業機会確保への努力義務を課すことになる「高年齢者雇用安定法」及び関連法の改正案(「70歳就業確保法案」通称『70歳定年法』)が、2020年3月31日に国会で可決されました。2021年4月から努力義務は適用されることになりますが、政府は、将来の義務化も視野に入れています。
既に施行されている、65歳への雇用延長の義務化対応も「定年制の廃止」や「定年の引き上げ」という措置を実施した企業の割合は合わせて2割程度に過ぎず、8割に近い企業が「継続雇用制度」を選択しています。その意味では、まだまだ道半ばです。そのような環境において、なぜ、拙速な印象も否めない現段階で『70歳定年法』が急がれているのでしょうか。
『70歳定年法』が必要とされる背景とは
政府が対応に躍起になっているのは、以下のような2つの理由が挙げられます。
労働力減少と「3つの無い」への対策
労働環境は、労働力の減少に歯止めがかからず、逼迫の度合いを増している環境にあります。
- 人口 2018年:1億2,660万人
- ピーク時の2008年12月の1億2,810万人に比べて150万人減少
- 2019年の人口は前年に比べて約51万人減少すると予測 - 労働力人口
- 労働力人口は、女性や高齢者の労働市場への参加が増えたことにより、2013年以降は増加傾向
- 15~64歳の生産年齢人口は著しく減少傾向
このような状況下で更に、現在の労働市場には3つの「無い」が存在している状況にあります。
若手労働力がいない
1つ目は労働力人口の減少の中でも、少子化の影響を受けて、若手の人材不足が顕著になってきている点があげられます。
- 労働市場の縮小 :2012年⇒2030年:労働力人口:▲13%
- 若手労働力市場の縮小 :2012年⇒2030年:労働力人口:▲17% (*)
(*)15歳~29歳の就業可能人口
外国人雇用が進んでいない
2つ目は外国人労働者の活用が進んでいない点があげられます。
- 外国人雇用に言語・文化の壁がある
- 外国人の出身国(特にアジア地域)も急速に高齢化が進み人材供給地としての役割が担えなくなってきている
などの理由により、労働力不足を補うに十分な活用が進んでいません。都会のサービス業やメーカーの技能実習生など局所的な活躍の場はあるもの、十分なレベルではありません。
ダイバーシティが進んでいない
3つ目はダイバーシティが進んでいません。
- 女性活躍推進がまだまだ掛け声で推進が遅い
女性の社会進出、活躍が目覚ましいですが、一方まだまだ改善の余地があります。労働力として非常に期待の高い女性の活躍は、改善傾向にあるものの、まだまだ限定的といえます。
例えば、女性の15歳〜29歳時の労働力率が49歳まで維持される(いわゆる労働力率をグラフにした際に現れるM字カーブが是正され、フラットになる)と、働く女性は102万人増えるといった統計もあります。逆に言うとそれだけまだ市場に提供されていない労働力があるということです。こと、日本社会においては、自宅での育児・介護のケアを女性が一手に担っている環境は変わらずに存在し、現在でも「M字カーブ」ははっきりと現れます。
現在、発生しているコロナウイルスによる在宅勤務推奨の環境下で影響を受けているのも女性労働者です。コロナの影響で、機能停止した保育園、デイサービスなどの介護施設の影響を受け、要育児者・要介護者が自宅にいる環境になっています。結果、「子供の育児」「親の介護」の負担が重くのしかかり、「在宅勤務」であれ「自宅で就労できない」といった状況に陥っています。そのような「自宅で就労できない」労働者も圧倒的に「女性」が多くなっているといわれています。 - 障害者雇用の推進が遅い
障害者の雇用も促進されていません。大企業においては、障害者雇用率を満たすことがゴールとなり、それを上回る雇用に積極的な企業は多くありません。一方、未達成を知りつつ放置している企業も散見されます。 - LGBTの活用が限定的
LGBT人材も近年注目されています。基礎スキルや知的レベルの高い高学歴者も多く、積極的活用が望まれています。これまで一定量は、通常の労働者として雇用され労働力となってきていました。ただ、自己のスタンスを覆い隠すことができない人材は、社会的に受け入れられる場が少なく、労働力として、継続的に価値を創出できていない場合もありました。日本の人口の7%~8%程度いるといわれるこれらの方々の一部は労働力として高付加価値なバリューを発揮できる潜在労働力といえます。
社会保障制度維持への対策
もう一つの理由が、年々増加している社会保障給付費用を抑制したいといった面です。
社会保障給付費
2017年: 120兆2,443億円: 対前年度増加額1兆8,353億円(1.6%増)
医療 :39兆4,195億円 (32.8%)
年金 :54兆8,349億円 (45.6%)
福祉その他:25兆9,898億円 (21.6%)
94万9,000円/一人当たり (数値:国立社会保障・人口問題研究所より)
社会保障財源は、社会保険料で70兆7,979億円。総額の半分強しか賄えておらず、残りは、公費負担・国庫負担などでカバーしているのが現状です。
このままでは、破綻することは目に見えており、早急な改善が必要になっているのです。
労働力としてのシニアへの期待
『70歳定年法』でもフォーカスされている高齢者、いわゆるシニア世代に世の中はどのような期待を持っているのでしょうか。
前述の労働力を確保できない、あるいは労働力の維持が難しい環境下において、相対的に労働環境や企業から労働力として期待されているといったことが「直接的な期待」ですが、ほかには何か「当て」にする理由はあるのでしょうか。
大きく3つのことが考えられます。
シニア人材の量的側面
1つ目は、労働力としてのボリュームです。
- 日本の総人口中に占める65歳以上の割合
- 2015年:26.7%
- 2035年:33.4% (人口の3人に1人)
この20年間で1.25倍にも膨れ上がります。
人口の3人に1人で、支えるのが困難になるといった印象ですが、逆に言えば、そこが労働力になれば、かなりの数になります。
また、65歳を過ぎても働きたい方は、71.9%もおり、大きな労働力の供給源になり得るのです。 *内閣府高齢者白書より
年度 | 65歳以上を支える人数 | 75歳以上を支える人数 |
2017年 | 2.1 | 5.1 |
2020年 | 2 | 4.7 |
2030年 | 1.8 | 3.5 |
2040年 | 1.5 | 3.3 |
2050年 | 1.3 | 2.7 |
2065年 | 1.3 | 2.4 |
(国立社会保障・人口問題研究所)
上記表を見ても、現在の65歳以上を支えるのは非常に困難な高い比率ですが、75歳以上と枠を広げて考えれば、2017年に至っては5人で支える状態にあり印象がかなり変わります。
現在の65歳以上を2名程度で支えている現状を75歳以上ととらえ直すことで、2050年まで負担を先送りできるのです。結果、それまでに多くの対策を講じる猶予を得ることができると思われます。これらのことも、雇用延長を後押しする大きな要因でしょう。
シニア人材の質的側面
2つ目は、シニア人材の「労働」のクオリティーです。
a) 労働者としての長年の経験があり「即戦力」としての期待
b) 人材育成投資が不要
c) 経験などで蓄えてきた「ナレッジ」「ノウハウ」の伝承により、「ナレッジマネジンメントの推進が可能」(結果的に若手育成にもなる)
d) 企業をまたいだ再就職などの場合であっても、大企業から中小企業に知識・経験の移転を推進できる(企業間ナレッジマネジメント/企業間格差の是正)
特に、近年、大企業から中小企業へのナレッジの移転は注目されており、中小企業のレベルアップ、均質化が期待されている面もあります。
シニア人材の体力面
3つ目は、シニア人材の体力面の向上です。
「アクティブシニア」といった言葉もある通り、近年の高齢者は活動的です。それは、実際の体力に裏付けられたものです。現在の70歳代前半の体力・運動能力:14年前の60歳代後半と同じくらいであり、高齢者の体力・運動能力は10年強で約5歳若返っています(文部科学省)。このような体力的な衰えの抑制、あるいは維持・向上も、「現役労働者」として活躍してもらうに値すると判断する側面です。
その他、若返りを示すデータ
- 1997年: 65歳~69歳 男性 1,29m/秒 女性 1,24m/秒
↓約10歳若返る - 2006年: 75歳~79歳 男性 1,29m/秒 女性 1,22m/秒
(日本老年学会・医学会 高齢者に関する定義検討WG報告書より)
このような、体力的な若返りは、シニア人材にとっても、精神面での自信や仕事に対するモチベーションの維持・向上を促し、労働意欲の向上、あるいは、いわゆるリタイア年齢の先送りをもたらしています。
自立の面からも同じことが伺えます。
仕事をし続けている高齢者と仕事を辞めた高齢者(ともに65歳以上)を比較すると、仕事を辞めてから8年経過すると、自立率は約40%程度に下がりますが、仕事を続けている方は70%近くの方が自立できています。(次期国民健康づくり運動プラン策定専門委員会)
こういった面からも、仕事が一つの健康維持や自立に有益な効果を与えている面があると思われます。
この記事は前編になります。後編は以下リンクから確認できます。
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