D&I推進の段階

少子高齢化により、労働力人口の減少または、高齢者への介護従事者の割合が増加することで、フルタイムに、転勤ありで、あらゆる仕事ができるという人材を確保することは難しくなってきた。そこで、時間や場所、キャリアの制限なく、多様な働き方を実現するために、女性や中高年、非正規社員の活躍推進において、法整備が行われてきた。2017年には経産省が中心となり、「ダイバーシティ2.0行動ガイドライン」を策定し、多様な人材の違いを活かし、個々の人材の能力を引き出すことで付加価値を生み出すために必要な行動を提示している。また、マイノリティの存在を掲げ、新たな視点や発想を前面に出すことでイノベーションを促すようなダイバーシティ・マネジメント、さらには「LGBTSOGIブランド」のようにマイノリティを積極的に市場に巻き込むことで新たな消費を生むことを前提としたマーケティングなど、分野・領域問わず、様々な場面で「ダイバーシティ推進」という言葉は聞かれるようになった。日本経済団体連合会は2020年にダイバーシティ&インクルージョン(以下、D&I)推進に関して調査を行っている。ポストコロナ時代の新しい事業環境に対応する上でD&I推進が重要だと考えている企業は96.3%になる。また、何のためにD&I推進を行うのか、期待する効果・成果を明確にしている企業は61.8%になり、期待する効果を定めていない企業においても、その3分の2以上はD&I推進は経営に良い影響があると考えられている。D&I推進の効果・成果として主に期待されているのは、社会的公平性への貢献だけではなく、人材獲得競争力やイノベーションの源泉といった経営に直結したメリットである。一方、経営戦略に活かしたとしても、経営の成果として現れるには時間がかかりすぎる、社員にD&I推進の重要性を浸透させるのが難しいといった課題も挙げられている。このような課題に対しては、その企業におけるD&I推進の課題、目的を明確にし、社員に適切に共有する必要がある。

本稿では、D&I推進の状態を3段階に分け、それぞれの段階において挙げられる課題に対して求められる対策を検討する。D&I推進の1段階目は「多様な人材が安心して働ける」状態である。2段階目は「多様な人材が適切に評価され活躍できる」状態である。3段階目は「多様な意見が交わされ組織が動く」状態である。

(出所)「D&I推進の浸透度合い」 筆者作成

各段階の課題は、多様な状態を指すダイバーシティを形成する際の課題(=以後、ダイバーシティ由来の課題)、個々の多様性を受け入れ、社員の力を最大限発揮する、力を発揮する機会や仕事が与えられるまでに発生する課題(=以後、インクルージョン由来の課題)に切り分けて設定する。多様な状態を作り出す(ダイバーシティ)ことも重要ではあるが、多様な状態を受け入れ、適切に評価・議論できる(インクルージョン)ための意識・素養がなければ、いくら多様な状態を作り出したとしても、その状態を継続することは難しい。ダイバーシティ由来の課題に対しては、多様な人材が在籍するための仕組みを整備し、インクルージョン由来の課題に対しては、社員の意識改革や日常会話も含めるコミュニケーションスタイルを検討する必要がある。また、社員へのD&I推進の浸透という課題もインクルージョン由来の課題に含まれる。

多様な人材が安心して働けるためのDI

1段階目の「多様な人材が安心して働ける」状態を形成するためのD&I推進とは何か。安心して働ける状態を作り出すためには、どのような人材であっても、安心して自己開示し、相談できるような仕組み、コミュニケーションが求められる。令和22020)年6月に労働施策総合推進法、いわゆるパワハラ防止法が施行され、企業は「ハラスメント相談窓口」を設定し、ハラスメントに関する相談に対応することが義務付けられた。相談窓口は様々な特性を持つ多様な人材においても、日々の悩みや困りごとを相談できる場として非常に重要である。しかし、相談窓口で不安な状態を抱かせてしまうようであれば、安心して職場で働くことができるというのも難しくなる。相談窓口において不安を抱かせてしまいかねないポイントは相談する手続き、相談中、相談後の情報の取り扱いの3点である。それぞれ、相談窓口そのものの仕組みや情報の取り扱い(ダイバーシティ由来の課題)、相談窓口担当者の対応(インクルージョン由来の課題)という点から見てみよう。

1点目:相談する手続き

相談窓口を設置したとしても、相談窓口や相談の手続きが社員に周知されていないのであれば意味がない。まずは規程等で相談窓口の存在と手続きのプロセスを明確に提示し、社員の中で必要な時に確認できるようにする必要がある。相談窓口の存在や手続きを周知した上で発生しやすい不安は、「自分が相談窓口を利用している」という事実が他者に知られてしまう可能性があることである。相談窓口を利用していることを他者に知られてしまうと、何らかの報復を受けるのではないかという恐れが発生する。そのような不安を解消するために、匿名での相談を受け入れるという方法がある。しかし、匿名で受け入れたとしても、相談内容によっては個人を特定できる可能性があり、その方法だけで、不安を払拭することは難しい。相談する手続きにおいて求められるのは、手続きは、オンライン手続きやメール等、窓口に直接訪れる必要のないやり方で、相談に応じる前から事前に、相談で得た情報の取り扱いを明らかにしておくことである。もし、調査の一環で情報を活用・公開する場合は、そのことも説明した上で、本人の承諾を得ることが求められる。

2点目:相談中

相談を聞く際に注意する必要があるのは、相談する場所である。基本的に人目に付きやすいオフィス内で相談した場合、相談窓口担当者と相談者が共にいたというだけで、他者から何らかの憶測をされる可能性がある。望ましいのは電話やメール、オンライン面談など、なるべく直接対面しなくても済む方法である。もし、直接対面することを望むのであれば、なるべく避けた方が良いのは、「相談室」という部屋をあえて設けて相談を受けることである。「相談室」に相談者が入るという時点で他者に知られてしまうからである。直接対面の場合は、オフィス外や通常の会議室を利用することをお勧めする。また、相談窓口担当者の受け応えも、相談者の不安を抱かせるポイントである。相談者に対し、「あなたの行動にも問題(落ち度)があったのではないか」、「どうしてもっと早く相談しなかったのか」と責めたり、「これくらいは当たり前、あなたの考え過ぎではないか」、「我慢した方が良い」、「気にしても仕方がない」と個人の主観を伝えたりすることは相談者との信頼関係を壊しかねない対応である。まずは不安になっている相談者に対し、「傾聴」し、「共感」を示すことで、相談窓口担当者に対し、「相談しても受け入れられた」という安心感を与える必要がある。相談窓口担当者の受け応えのルールに関しては、担当者が代替わりしても変わらず対応できるように、マニュアル化しておくことをお勧めする。

3点目:相談後の情報の取り扱い

1点目でも挙げたように、相談者が最も懸念していることは、「自分が相談していることあるいは相談内容が自分の知らない内に会社内に知られてしまうこと」である。この事実を知られてしまうと、相談内容によっては、他者から何らかの報復を受ける可能性がある。相談窓口の仕組みにおいて最も重要なのは、情報の取り扱いである。基本的に相談内容は他者に共有しない。もし相談内容を共有する場合は、本人にどこまでの内容をどのぐらいの範囲まで共有しても良いのかすり合わせることが求められる。特にハラスメントに関する相談は、相談者のセクシュアリティや病歴、不妊治療等のセンシティブな情報が含まれる場合がある。共有の仕方によっては、アウティング(本人の了承を得ずに他者にセクシュアリティを暴露する行為)になりかねないため、相談窓口担当者は情報を共有する際の伝え方に関しても、相談者に事前に確認してもらうことをお勧めする。

近年、DXの進展に伴い、社員データを収集・分析し、活用することで組織戦略に繋げたり、人的資本情報の開示が投資家等のステークホルダーにおいては企業の価値評価の対象とされたりするようになってきた。特に人的資本に関する情報開示のガイドラインであるISO30414に記載された11項目の中には「コンプライアンス・倫理」や「ダイバーシティ」が挙げられる。また、東京証券取引所が改訂、公表したコーポレートガバナンス・コードにおいて新たに「企業の中核人材における多様性の確保」が追加されたことも受け、どのぐらいダイバーシティが形成できているかといった状態も指標化されていくことだろう。指標化された情報は開示され、企業の価値評価の一つとして判断されるが、情報によっては非常にセンシティブな情報も含まれるため、情報の公開・共有については今後の動向も踏まえながら、注意して取り扱う必要があるだろう。

相談窓口の利用対象者は、その企業の社員に限らず、退職者、就職活動中の学生、取引先等も含まれる。特に就職活動中の学生に対するハラスメントは、その企業の印象や採用競争力を落としかねない問題である。ここで筆者が就活時に経験したことを紹介する。まず筆者は弊社にてコンサルタントとして働いている。発達障害、特にADHDの傾向があり、セクシュアリティもAジェンダー、Aセクシュアル・アロマンティックと自認している。Aジェンダーとは自認する性別が男性でも女性でもない状態[1]を指す言葉である。Aセクシュアルとは他人に対して性的欲求を抱かないセクシュアリティであり、アロマンティックは他人に対して恋愛感情を抱かないセクシュアリティである。恋愛に関する話は理論として理解はするものの、感情としてはわからず、共感することが難しいのである。就活をしていた当時の筆者は、既に社会人になった先輩から、「結婚はいつするの?」とか「恋人は作らないの?」といった話を何度も人事面談でされ、結局自分のセクシュアリティを打ち明けざるを得ない状況になったということを耳にしていた。筆者はそのようなプライベートな話を仕事の中で持ち込まれ、無難な回答を考えるコミュニケーションコストを避けたい、もしくは自身のセクシュアリティを明らかにして理解を得た上で仕事をしたいと考えていた。そこで後者を選択した筆者は、レインボーフレンドリーな企業[2]に就職しようと考えていた。筆者は早速、レインボーフレンドリー企業が集まる就活イベントに参加した。筆者はLGBT[3]に関して、専門的な知識を持っていることを企業に求めていなかった。ただ、男女で明確に区別することが難しい性自認や、異性を愛することが当たり前ではないということを知っている企業であれば十分だと思っていた。しかし実際はそれ以前の問題だった。とある企業はLGBTフレンドリー企業であると掲げていながら、その企業の担当者は以下のように筆者に語った。「経営層はLGBTフレンドリーや多様性について言っているけれど、自分たちは良く知らない、そもそもLGBTって何?」。筆者は驚きと共に「LGBTフレンドリー」と掲げていても信頼できない、自分が安心して働ける保障はないということを知った。実際、日経新聞の調査によると、就労経験のある性的少数者の中で、就活時に性的指向や性自認に由来した困難やハラスメント(SOGIハラスメント)を経験した人は選考時で40.6%、内定から入社までで32.7%という回答があった[4]。そのため、自身のセクシュアリティを伝えることで、不利益を被ってしまう、または安全が担保されないということで、その企業への就職を諦めてしまうことがある。また、クローゼット(自身のセクシュアリティを公開しない、隠すこと)で採用されたとしても、実際に職場の人間と関わる中でハラスメントや困りごとが発生するのである。ハラスメントとして、採用面接時に「今、彼女はいるの?」、「君はホモか?」と聞かれたり、入社後には「あなたがしっかりしないと今後LGBTQの人は採用できないな」と上司から言われたりする事例がある[5]。実際に職場の環境や人間関係に困難が生じ、就職後にうつを経験することがある。認定NPO法人「虹色ダイバーシティ」の調査によると2020年の調査で同性愛者・両性愛者のうつ病発症率は13.8%、トランスジェンダーは20.0%、性的少数者以外、いわゆるシスジェンダーやヘテロセクシュアルに該当する人では5.8%になる[6]。相談窓口の担当者全員がセクシュアリティに精通しているわけではない。しかし知らなかったとしても、本人の在り方を否定しては、前述したように信頼関係の構築はできない。まずは「そのような在り方の人もいる」ということを認識し、共感する姿勢を示す必要がある。そして理解・共感の姿勢は相談窓口の担当者に限られた話ではなく、採用担当者や上司、同僚など、社内全体における話でもあるため、インクルージョンの施策として1段階目で目指すのは、啓蒙である。「LGBTは自分の周りにはいない(いるわけない」といったネガティブな発言を聞くことがあるが、それは当事者が言い出せない、相談できないような環境を作り出しているだけである。まずは、啓蒙を通して、知識を得ることで、LGBT問わず、多様な人材が存在していることを「認知」し、傾聴もなく、相手を「否定しない」ことが求められる。

ここまで、D&I推進の段階および1段階目の「多様な人材が安心して働ける」状態を形成するためのポイントを見てきた。後編では2段階目の「多様な人材が適切に評価され活躍できる」、3段階目の「多様な意見が交わされ組織が動く」状態を形成するためのD&I推進のポイントについて述べる。

 

この記事は前編です。後編は以下リンクから確認できます。

[1] 日本においてはXジェンダー(無性)と表現されることもある。
[2] マジョリティであるシスジェンダー(性自認と身体の性別が一致している状態)やヘテロセクシュアル(異性愛者)の人でも性的少数者への偏見を表出させたり、差別をしないと表明したりして、友好的な関係を築こうとするようなアライ(Ally=同盟・味方)であることを標榜した企業のことである。
[3] LGBTはレズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダーといったセクシュアリティの頭文字を取った言葉であるが、最近は特定のセクシュアリティに限らず、様々な性の在り方として「SOGISexual orientation and gender identity=性的指向および性自認)」と表現することがある。
[4] https://www.nikkei.com/article/DGXMZO37376760V01C18A1XXA000/
[5] https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000016.000047512.html
[6] https://nijibridge.jp/wp-content/uploads/2020/12/nijiVOICE2020.pdf

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