理念はなぜ重要なのか

企業の理念には、経営者の「想い」や、経営の在り方・方針といった「将来の方向性」、パーパス(Purpose)のような企業の「存在意義」等、様々な表現がある。短い言葉で表現するため、抽象的でわかりにくいと思われる方もいるのではないだろうか。しかし、近年、企業は利益追求だけではなく、持続可能な社会や環境への貢献の在り方や度合も消費者や投資家等ステークホルダーは購買や投資の判断基準として重視するようになった。理念は社会や環境と企業との関係性を提示する上で一番わかりやすいメッセージとなるため、捨て置くこともできない。さらに社内においても、社員からすれば「理念は自分には関係のない事柄」と捉えている人も少なくないだろう。そこでまずは、理念はなぜ重要なのか事例ベースで考えてみたい。

理念を設定することの意義は2点想定される。1点目は「絶対に変えないものを明確にしつつも、時代に適応する」点である。端的に言えば、「不易流行」を実現することである。例えば虎屋では1500年代の創業以来、「おいしい和菓子を喜んで召し上がって頂く」という経営理念を今日まで掲げ、和菓子やサービスを提供している。和菓子の中には、1600年代の記録に残っている和菓子を作り続けているものもある。しかし和菓子における伝統を守り続けつつも、時代に応じた価値観や味覚の変化に合わせ、和菓子やサービスも変化させている。その一例が「トラヤあんスタンド」である。「あんのある生活を」をコンセプトに、あんを使ったスイーツやパン、食事を提供している。和菓子離れ、あんこ離れといった現代の若者の傾向に対して、伝統的な和菓子に拘泥するのではなく、パンや洋菓子とあんの新しい組み合わせを提供することで、時代に適応し、新たな「流行」を生み出している。2点目の意義は、「認知転換を促し、新たな価値を創造する」という点である。例として富士フイルムが挙げられる。写真フィルム業界では1990年代以降、写真フィルムからデジタルカメラへと主流が移り行こうとしていた。多くの写真フィルム業界では、デジタル化への対応を急ぎ、製品の開発をしたものの、スマートフォンの登場により、デジタルカメラ市場そのものも揺るがす状況となったのである。その中、20032004年頃に「融知創新」というコンセプトを打ち出した。「融知創新」とは、元々富士フイルムが持っていた先進技術に対して、異分野であっても積極的に接点を持ち、その融和の中から新たな価値を創造する考え方である。研究開発組織を変革し、写真印刷/加工技術における酸化防止技術やフィルム原材料であるコラーゲンは肌の老化防止技術等に活用されるなど、既存の事業の技術を活用しながら、コンセプトに沿って新たな価値を創造している。一つの事業に固執した理念ではなく、一度本質に立ち返り、企業の強みを活かし、社会にどのような貢献をするかという広い範囲の理念を提示することで、新たな価値を創造することを可能にしている。

理念が浸透している状態とはどのような状態なのか、個人を主体に置いた際の、理念浸透のレベル感を見ていきたい。理念浸透の第一段階目は、「理念の言葉を覚え、理解している」ことである。理念を理解し、理念の体現者との関わりを通して、「理念に対して意義を感じる」ようになる。これが浸透の第二段階目である。理念に意義を感じ、体現者の指示のもと、行動するようになると、「自分なりに理念を解釈することができる」ようになる。これが第三段階目である。理念の意味を自分の言葉で表現することで、第四段階は、「理念を具体的な行動に結び付ける」ことができるようになる。理念を浸透させる際の優先順位は企業の在り方や人材の特性によって異なる。例えば、人材の流動化が激しい企業では、第四段階の浸透を優先し、具体的な行動を実現できたとしても、人材が固定しないのであれば、その行動は浸透することなく終わってしまう。そのような企業では、第一段階や第二段階のように、理念を理解し、経験してもらうことを優先して浸透させることをお勧めする。一方、メンバーシップ型企業のように、新卒から育て、その企業内で活躍してもらう人材を求める企業では、第四段階のような理念を踏まえた具体的な行動をとることができる人材を増やすことで、企業の存在を強固なものにすることが求められる。理念が浸透した状態は四段階あるものの、企業の在り方や人材の特性によって浸透とみなす状態は異なるということを踏まえた上で、各段階の理念をどのように浸透させることができるのか考えてみたい。

(出所)「理念の浸透状態」筆者作成

一段階目:理念の言葉を覚え、理解している

一段階目の浸透の状態である「理念の言葉を覚え、理解している」ことを実現するためには、理念をどのように伝えているのか振り返る必要がある。社会経済生産性本部2004年の調査によると、経営理念・社是社訓の共有方法として最も多いものから「社内での掲示」(21%)、「社内誌・リーフレットの配布」(17%)、「カードや手帳へ印刷し、常時身につけるようにしている」(16%)が挙げられる。

(出所)社会経済生産性本部[2004,12]を参考に筆者作成(回答社数507社)

理念の共有方法は、社内での提示や社内誌・リーフレット、印刷して身に着けるなど、社員が視認できるものが多い。しかし提示・配布しているだけの場合、社員は意識して理念に注目しない可能性があり、理念を覚える段階に達しない。視認できる状態で理念を掲げると同時に、理念の発信者による理念成立の背景や意義を発信することが求められる。

二段階目:理念に対して意義を感じるようになる

二段階目の浸透の状態である「理念に対して意義を感じるようになる」ことを実現するためには、自発的に理念を体現する人材を増やすことが必要である。つまり、理念を体現する人材を育成する仕組みが求められるということである。理念を体現する人材を育成するために、研修を行うことがある。しかし研修の内容によっては、やりっぱなしとなり、実際に理念を体現する人材になったか効果検証がされないままの場合が多い。研修をやりっぱなしにせず、理念を体現する人材の行動を指標化した上で、その指標の達成を実現できている場合は、適切に評価に反映させるやり方をお勧めする。懸念事項として、評価に反映させると、一部、評価点を取るために行動するといったリスクも起こり得るので注意が必要である。

理念の体現は定性的且つ主観的な判断になりやすい。その場合は、評価は成果や行動のように目に見える客観的要素で行うものの、昇格を判断する場合は、評価を踏まえ、理念の体現度合いも組み込むというやり方がある。いずれにせよ、理念の体現を実現するためには、研修だけではなく、人事制度に組み込み、日常的に理念に触れる機会を創出することが求められるのである。一段階目、二段階目の浸透レベルは、理念を個人が受信し、受動的に行動する段階である。つまり、理念を覚え、理解し、意義を感じるためには、理念の発信者の在り様が求められる。理念の体現者とも言える発信者が、日常業務内にて理念と結びつけた教育を行うことは効果的な方法である。しかし教育を実施する上司や育成担当者が理念に則った言動・判断ができていない場合は、いくら理念と結びつけた教育を実施したとしても共感されず、逆効果になってしまう可能性があることに注意する必要がある。

三段階目:自分なりに理念を解釈することができる

三段階目の浸透の状態である「自分なりに理念を解釈することができる」ことを実現するためには、まず、理念が実現した状態を内容の質を問わず、列挙する必要がある。実現した状態に対して、顧客からどのような声が挙がるのか考えることも重要である。このような理念を実現した際のあるべき状況を考えた上で、改めて現状がどんな状態か振り返る。現状を振り返ると、いくつかの課題が浮かんでくる。その課題に対してどのような解決策が考えられるか検討し、解決するための具体的な行動を挙げる。この行動がビジョンを実現するための行動となるのである。また、前述の考え方や理念の解釈について納得がいくまで議論する場があることも望ましい状態である。理念は端的な言葉で会社の在り方や方向性を表現したものであり、担当業務やその人のバックボーンに応じて、理念の解釈が異なるのは不思議なことではない。問題なのは、誰しもが理念に対して同じ解釈しかない状態である。組織内で統一した思考を持つと言えば、理念のような定性的な事象に対して統一の解釈を持つのは、なかなか難しいことであり、集団思考になっている可能性もあるので注意が必要である。また、議論する場において、他の意見が出てこないのであれば、その場では共感・傾聴・アサーティブ(他者の意見を尊重しつつ、自分の意見を発言する)が担保されていない状態であると捉えることができるため、理念の実現の前にまずは、社内の関係構築の改善に努めることをお勧めする。

四段階目:理念を具体的な行動に結び付ける

四段階目の浸透の状態である「理念を具体的な行動に結び付ける」ことができるようになるためには、理念と計画の整合性を担保する必要がある。理念と計画の整合性が担保された状態とは、理念や方針に基づいて経営計画が策定され、経営計画から部門計画が設定され、部門計画から個人目標に落とされる一連の過程があり、理念や経営計画の実現を後押しする人事制度が適切に運用されている状態のことを意味する。

(出所)「理念と計画の整合性」筆者作成

この一連の過程を実現するために重要なのは、ブレイクダウンのやり方である。理念から経営計画、経営計画から部門計画、部門計画から個人目標へという3つのプロセスをそれぞれ見ていこう。まず、理念から経営計画へのブレイクダウンでよく見受けられるのは、計画段階から達成のストーリーが不明確な項目である。理念を実現するために設定する計画が経営計画であるとするならば、その理念を実現したありたい姿が不明確であり、実現可能性が見えない計画であるならば、部門計画へのブレイクダウンが難しく、抽象的な内容になってしまう。理念から経営計画にブレイクダウンするためには、現状分析が重要となる。業績や業務分析、市場分析等、あらゆる角度から分析し、問題を引き起こす課題(=根本原因)や将来的に引き起こし得る課題を明らかにすることで、目標像の構想を行うことができる。目標像の提示のみでは、抽象的な経営計画と変わらないため、目標像に対する重点課題・施策を設定する必要がある。ここでいう重点課題は、現状分析で明らかになった課題をただ列挙するのではなく、課題を踏まえて、何を変え、いつまでにどのレベルまで達成させるのか、達成の判定基準はどの程度か、具体的にどのような施策を実施するのかといったアクションまでを提示できるものを指す。経営計画の重点課題の実現までのストーリーを描くことができるようになると、2つ目のプロセスとして、経営計画から部門計画へのブレイクダウンが発生する。

経営計画から部門計画へのブレイクダウンの際に重要なことは2点ある。1点目は、部門においても部門独自のありたい姿を掲げることである。明瞭な部門計画を設定したとしても、理念を体現する管理職や計画の発信者が何を動機として、計画を発信するかによって、社員の理念浸透の一段階目や二段階目の浸透度合いも異なってくる。発信者が、部門を企業内でどのような位置づけに持ってくるのか、業界に対してどのような影響を与える部門になりたいのか、部門のリソースを活用・獲得してどのような未来を創りたいのかという、部門のありたい姿が発信者の中でイメージできていれば、経営計画を自分なりにかみ砕き、部門計画の設定や社員への発信が可能になる。2点目は、部門計画達成のストーリーを設計することである。ストーリーを設計する目的は、個人目標にブレイクダウンする際に、目標を達成した状況をイメージしやすくするためである。ストーリーを設定するためには、部門計画の目標に対して成果指標(KGIKPI)、プロセス指標を設定し、各指標を達成するための行動を具体的に設定することが必要である。一般的に成果指標、プロセス指標を漏れなく具体的に設定するために活用されるのが、BSCBalanced Scorecard:バランストスコアカード)というフレームワークである。BSCとは「財務の視点」、「顧客の視点」、「業務プロセスの視点」、「育成と成長の視点」の4つの視点より構成され、全社・部門、株主・顧客・社員等のバランスを維持しながら管理できるフレームワークである。BSCを活用したストーリーは以下のようなものが想定される。まず、企業収益の向上(財務の視点)を図るために、社員向けのサービス改善を行い、従業員満足度(ES)を高めつつ、社員の成長のために育成を行う(育成と成長の視点)。ESが向上し、育成も進むと、社員はモチベーションが高くなり、生産性の向上が見込める。生産性が向上することで、商品・サービス品質の向上・充実に繋がる(業務の視点)。商品・サービスの品質向上は顧客満足度(CS)を高めることに繋がり(顧客の視点)、顧客に対する関係構築・対応の拡大・品質向上は企業収益の向上(財務の視点)をもたらす。このような一連の流れをサービス・プロフィット・チェーン(SPC)と言い、SPCに沿ってそれぞれの視点の指標を関連付けながらストーリーを作成することができる。

(出所)「BSCSPC」筆者作成

理念浸透という観点でストーリーを作成する際に有効に活用できるのは、「育成と成長の視点」である。理念に基づく行動を指標化し、ストーリーの中に盛り込むことで、理念と財務指標との繋がりを理解することができる。3つ目のプロセスとして、部門計画から個人目標へのブレイクダウンについては、前述した成果指標、行動指標を落とし込むことで理念と計画の整合性は取れているのであるが、重要なのは成果指標、行動指標を落とし込む際の考え方、伝え方である。そのまま指標を落とし込むのではなく、部下に対して、何のために指標が設定され、何をどれだけ、いつまでに、どのような手段を使って実現させるのか、上長と納得できるまですり合わせることが必要である。その際に求められるのは、個人目標へ指標を割り振る際の基準や優先順位が、理念に基づく判断基準であることと、財務指標と理念に基づく指標の繋がりを上長の言葉で部下に説明できることである。

さいごに

 今後、人々は自身のキャリアビジョンの実現に向けて企業を転々とすることが想定される。企業の枠組みも、人材の流動化に合わせて、仕事に重きを置いたジョブ型人事制度の導入や、ピラミッド型組織ではなくティール型組織のような企業という枠組みさえ超えた働き方が中心となり得るかもしれない。その際、この企業で働きたいと思ってもらうためには、人々に共感される理念が必要である。同じような業務内容、同じような給与条件の場合、最後の決め手は働きやすさである。制度面での働きやすさもあるが、理念の体現者によって形成された組織風土も働きやすさの一助となる。共感される理念を掲げているだけで理念の体現ができていないのであれば、理念に共感して集まったとしても人々は離れてしまう。改めて理念の重要性を理解いただき、理念浸透のアプローチについて検討いただければ幸いである。

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