
OKRという“魔法の仕組み”への幻想
近年、MBO(目標管理制度)に代わり「OKR(Objectives and Key Results)」を導入する企業が増えている。OKRは、短いサイクルで高い目標を掲げ、組織全体でフォーカスを合わせる仕組みだ。ドミノ・ピザ ジャパンもその一社であり、OKR導入を機に個人評価制度を廃止し、「Pay for Job」「No Rating」「One Team/Profit Sharing」という思い切った改革を行った。この背景には、「最高の人財を集め、団体競技で勝つ」という思想と、性善説に基づいた人材観があるという。一見すると理想的な仕組みであり、組織のスピード感を高める上では極めて合理的に映る。しかし、人事コンサルティングの視点から見ると、この仕組みがすべての企業に適しているとは限らない。むしろ、ビジネスモデルや人材育成思想との整合性を欠いたまま導入すれば、企業文化を壊しかねないリスクを孕んでいる。
短期成果志向の限界/「OKR」は万能ではない
OKRの本質は、「短期間での成果に向けて全員が同じ方向を向く」ことにある。ドミノ・ピザのように、ビジネスモデルがシンプルで、労働集約的かつスピード重視の事業では、確かにOKRは効果的に機能する。ピザという商品特性上、「遅いこと」は即「価値の毀損」である。したがって、OKRによる短期サイクルでの行動・成果評価は、経営スピードと相性が良いのであろう。しかし、これを「すべての企業に通用する人事制度」と誤解してはならない。たとえば、技術開発やコンサルティング、教育、研究といった中長期的な能力開発や経験蓄積を前提とするビジネスモデルにおいては、短期的評価がむしろ人材の成熟を阻害するリスクがあるとも考えられる。人を「育てる」ことが本質にある業種にとって、OKRの短期スパン評価は“未熟さを是正する時間”を奪い、成長を焦らせる。結果として「成果を出せる人しか残らない組織」になってしまう危険も考えられる。
性善説に基づく仕組みの“落とし穴”
ドミノ・ピザ ジャパンの制度改革は、「人は本来、正しく働き、自ら学ぶ」という性善説に立脚している。この思想自体は美しいが、その美しさだけで人事は回らない。「全員が自己駆動的に学び、誠実に行動する。」この理想を前提に制度を構築してしまうと、現実の多様な人材構成を支えきれない。日本企業の多くは、性悪説でも性善説でもなく、「未完成な人をどう成熟させるか」という現実主義に立っている。したがって、性善説モデルを採用する場合は、「入社時点で完成された人材を採用する」か、「途中で脱落することを前提とした設計」にしなければ機能しない。これは制度の問題というより、ビジネスモデルの人材戦略上の選択であり、「ビジネスモデル上、どのような人をどう育てたいのか」という根幹と直結している。
制度はビジネスモデルに従う
私が20年以上にわたり人事制度設計に携わって感じるのは、「流行や有名企業の制度を安易に真似る企業が非常に多い」ということだ。過去を振り返れば、リクルートがかつて掲げた「40歳定年」もその好例と言えるであろう。この制度は「40歳で独立支援する」という美しいメッセージで語られたが、実態としては「40歳を超えた社員を組織から卒業させる」早期退職制度の一形態だったと言える。しかし、リクルートという広告・情報産業においては、若手中心の新陳代謝が合理的であり、ビジネスモデルに合致していた。つまり、「制度の良し悪し」ではなく「制度とビジネスモデルの整合性」が重要なのである。
同じことがOKRにも言える。短期成果が価値を生むビジネスではOKRは非常に有効だが、中長期的に人を育てる企業にとっては、制度のリズムが合わない。人事制度を設計する際には、「成果の単位が短期か長期か」「人材価値を社内で育てるか、外部から調達するか」という問いを避けて通ることはできない。
「CFR」「NPS」「JP&R」/横文字の“人事幻想”
欧米の経営手法を挙って用いるが故に、「CFR(対話・フィードバック・承認)」「NPS(顧客推奨度)」「JP&R(Job Performance & Review)」など、組織人事領域においても、横文字の仕組みや手法が次々と登場している。もちろん、これらは理論的には優れた考え方だが、日本企業に導入する際には「定義の曖昧さ」と「文化的土壌の違い」に注意すべきである。「横文字=先進的」「グローバル=正しい」と錯覚してしまうと、制度の目的よりも“かっこよさ”が先行し、結果として現場には定着しない。重要なのは、「何を実現するための制度なのか」「自社の文化や人材層で本当に機能するのか」という現実的な検証だ。制度導入の目的がブランディングではなく、組織の実行力を高めるためのものであることを、常に確認する必要がある。
「さん付け運動」に見る“形だけのフラット化”の危うさ
同様の流れは、制度以外の文化面にも見られる。たとえば、役職呼称を廃止して「さん付け」に統一する企業が一時期流行った。確かに形式的な上下関係を薄め、心理的安全性を高め、どこかフレンドリーな組織風土や文化を演出することは出来るであろう。しかし一方で、権限と責任の所在が曖昧になるリスクもある。新入社員が役員を「○○さん」と呼び、フラットに意見を言えることは一見良いことのように見えるが、もしその発言が責任を伴わない“自由な意見”として放たれるだけであれば、組織の統治機能を失う可能性もある。形式的なフラット化よりも、役割に基づく明確な意思決定構造と、対話ができる文化の両立こそが重要である。制度やルールを形だけ導入しても、文化的成熟が追いつかなければ逆効果になる。
「流行」より「自社の哲学」を持て
少子高齢化が進み、人が「高級品」となりつつある時代。人事制度はもはや“経営戦略の実現のための制度”ではなく、企業がどんな人をどのように育て、どんな時間軸で成果を求めるかという、経営哲学を色濃く反映する仕組みになっていくのではないかと思う。人事制度を考える際に最も重要なのは、流行ではなく自社の哲学に立ち返ることである。
OKR、CFR、ジョブ型、さん付け、リモートワークなど。これらはいずれもただのツールや手段にしか過ぎない。人材を「短期で使うのか」「長期で育てるのか」、その意思が明確でないまま仕組みを導入しても、制度は形骸化し、組織の力はむしろ削がれていくのである。
制度ではなく、“人を信じる構造”を設計せよ
制度は人を動かすが、人を育てるのは制度ではない。OKRもまた、「人を信じ、成果を信頼する仕組み」として設計されるならば強力な武器になる。しかし、それを支える土台の経営の哲学・文化・人材戦略が伴わなければ、制度は“形だけの変革”に終わる。人事制度とは、経営思想の写し鏡である。短期のスピードか、長期の成熟か。量の労働か、質の労働か。その問いに対する企業の答えが、人事制度の方向性を決める。流行に惑わされず、自社の事業構造と人材戦略を照らし合わせ、「我々はなぜこの制度を選ぶのか」という哲学的な問いに立ち返る。それこそが、これからのサステナブルな組織人事の第一歩である。
事例参考出典:日本の人事部
この記事を読んだあなたにおすすめ!









