人事データの「可視化」は目的ではなく、出発点である

人的資本経営という言葉が一般化して久しい。多くの企業が「人材データの活用」「スキルの可視化」「タレントマネジメントの高度化」を掲げて取り組みを進めている。しかし、その実態を見ると、「データを集めること」が目的化し、経営の意思決定や組織変革に結びついていないケースが多い。みずほフィナンシャルグループ(以下、みずほFG)が導入した新たな人事制度〈かなで〉は、その課題を正面から捉え直した好例である。グループ全体の人事基盤「WITH」において、850種類にも及ぶEUC(ExcelやAccessによる個別管理システム/エンドユーザーコンピューティング)を統合し、Amazon QuickSightを用いた人事データ分析基盤を構築。属人化した業務を脱し、データに基づく意思決定ができる仕組みを整えたそうだ。

この取り組みは単なるシステム刷新ではなく、人的資本経営を「実装する」ための基盤づくりだろう。データが一元化されることで、初めて「誰が、どんな経験を持ち、どの領域で成果を出しているのか」が客観的に見えるようになる。そして、社員自身が自らのデータを活用して成長戦略を描く「社員ナラティブ」の実現へとつながる。

しかし、ここで重要なのは、“見える化”そのものがゴールではないということだ。

データマネジメントの本質は、「見える化した結果、何を変え、何をやめ、どこに集中するのか」という意思決定を支えることにある。

“時間信仰”が、日本の人的資本経営を阻んでいる

一方で、日本企業全体を見渡すと、いまだに“働き方の単位”が「時間」に縛られている現実がある。OECDによると、日本の年間労働時間は1611時間で世界31位。しかし、その短縮にもかかわらず、労働生産性はアメリカやドイツに大きく劣る。このギャップの根底にあるのは、「時間を減らすこと=改革」と捉える短絡的な考え方だ。「残業削減」「時間外労働の規制」「勤務時間の短縮」など。これらは確かに働き方改革の重要な要素ではあるが、それ自体が目的になってしまっては本末転倒である。

成果を生まない働き方のまま時間を減らせば、単に“生産性の低い短時間労働者”を量産するだけだ。本来、改革すべきは「働き過ぎ」ではなく、「成果を生まない働き方」である。

Googleの社員が「あなたの月の労働時間は?」と聞かれて戸惑うのは、仕事を“成果を出す行為”として捉えているからだ。そこには、「何時間働いたか」ではなく「何を生み出したか」を基準とする文化が根づいている。

成果を測れない組織に、データは活きない

いま多くの企業が人事データ活用を掲げるが、その多くは“成果”という指標を欠いている。スキルや経験、資格などを詳細に蓄積しても、そこに「成果との相関」がなければ、データは単なるカタログに過ぎない。みずほFGの取り組みが評価されるのは、データを“業務そのものの改善”につなげている点であろう。850ものEUCを統合し、業務を共通化・標準化することで、初めて「どの業務がどれだけの価値を生み出しているのか」を分析できるようになったそうだ。これは単なる効率化ではなく、「どこに人材を再配置すべきか」「どの職務が成果に寄与しているか」といった経営判断の基盤を整備する行為であろう。

人的資本経営におけるデータとは、“成果を生む構造を見極めるための材料”であり、“人を管理するための道具”ではない。

スキルや経験を見える化することも大切だが、その先に「成果をどう生み出すか」の問いを置かなければ、データ活用は形骸化する。

成果基準への転換がもたらす「選択と集中」

スイスの国家戦略が示すように、限られたリソースを成果の出る領域に集中させることは、組織経営にも通じる。スイスは収益性の低い中小企業を延命させるのではなく、国益をもたらす企業に集中投資する政策を選択した。その結果、GDP総量では20位台でも、一人当たり名目GDPでは世界3位という成果を上げている。企業も同様に、人的資本経営を「全員平等の可視化」に終わらせてはいけない。見える化されたデータをもとに、成果を出している人・組織・事業に資源を集中させる。これこそがデータマネジメントの本来の目的である。つまり、成果が非常に重要なのである。

可視化の先には、「選択と集中」がなければならない。“努力の平等”ではなく、“成果の公平”をどう実現するか。そこに経営の胆力が問われる時代が来ている。

「データ×成果」で、人事の意味を再定義する

ここで改めて強調したいのは、人的資本経営とは経営戦略であり、人事の業務改善ではないということだ。みずほFGのように、システム統合を通じて人材データを横断的に分析できる環境を整えることは、人事部門だけの仕事ではなく、「経営判断を支えるインフラ整備」である。人事データは「社員のために存在する情報」ではなく、「企業価値を高めるための戦略資産」であろう。だからこそ、データマネジメントは人事部門の手を離れ、経営層の意思決定に直結する形で設計されなければならない。

これからの組織に求められるのは、データを集める力ではなく、データから“成果”を生み出す力である。

見える化で終わるのではなく、見えた結果をもとに戦略を変える。その実行力こそが、人的資本経営の成否を分ける。

終わりに/「成果で働く社会」への第一歩

高度経済成長期のように、モノを作れば売れる時代はとうに終わっている。人口減少が進み、組織の無駄が許されなくなる中で、いま必要なのは“働く時間”を減らすことではなく、“成果を生む構造”を再設計することだ。人的資本経営や人事データの活用が、単なる“人事部の仕事のための仕事”に終わることなく、真に経営の変革につながるように。そのためにはまず、「働く単位」を時間から成果へと切り替える勇気が必要だ。見える化は、終わりではない。それは、現実と向き合い、成果に責任を持つ組織への“入口”である。

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