近年、「人的資本経営」という言葉が広く浸透し、賃上げや教育投資、初任給の引き上げなど、「人への投資」が企業経営における重要なテーマとなっています。私自身も人事制度のコンサルティングを行う中で、「人件費率はどの程度が適正なのでしょうか」、「同業他社の水準に報酬改定したい」といったご相談をいただくことがあります。
もちろん、市場水準や競合他社の動向は重要な情報です。しかし、人への配分にあたり、重視すべきは、「自社は何によって競争し、どのような価値を生み出す企業を目指すのか」という経営戦略との整合性をとることです。


人への配分は、経営戦略の結果
企業は限られた経営資源を、様々な対象へ配分しています。設備投資を行う企業もあれば、新商品の研究開発へ投資する企業もあります。海外進出やM&Aに資金を投じる企業もあります。そして、その選択肢の一つが「人への配分」です。
給与や賞与だけではありません。採用、教育、福利厚生、働く環境の整備なども含めて、人への配分と言えるでしょう。
つまり、人への配分は独立して決まるものではなく、「何に投資することが企業価値の向上につながるのか」という経営判断の中で決まるものなのです。
同じ人件費でも、最適解は企業によって異なる
例えば、高度な技術力で差別化を図る労働集約型事業を行う企業であれば、専門性の高い人材を採用し、育成することが競争力につながります。そのため、市場水準を上回る報酬を提示したり、教育へ積極的に投資したりすることが合理的な判断になるでしょう。一方で、生産設備や物流網が競争力の源泉となる企業では、人への投資以上に設備投資を優先した方が企業価値の向上につながる場合もあります。企業によって競争優位の源泉が異なる以上、人への配分も異なります。だからこそ、「市場水準だから」「他社がそうしているから」という理由だけで人への配分を決めることはできません。
人事制度は経営戦略を映す鏡
人事制度の設計では、給与水準や等級制度、評価制度などが議論されます。自社は何で競争するのか。そのためには、どのような人材が必要なのか。その人材にどのような役割を期待し、その期待に応えるためには、どのような処遇や育成が必要なのか。こうした経営上の意思決定があって初めて、人への配分や人事制度の方向性が見えてきます。言い換えれば、人事制度とは経営戦略を制度として表現したものです。制度だけを見直しても、経営戦略とのつながりがなければ、本当に機能する制度にはなりません。
おわりに
人的資本経営が注目される今だからこそ、「人へいくら配分するか」という議論はますます重要になっています。しかし、その問いに対する答えは、市場水準や流行する報酬制度の中ではなく、自社はどのような価値を提供し、何によって競争優位を築こうとしているのかといった自社のあるべき姿の中にあります。その経営戦略が定まって初めて、人への配分の考え方も定まります。人への配分とは、人事の判断ではなく経営の判断です。そして、人事制度とは、その経営判断を実現するための仕組みにほかなりません。人的資本経営とは、人への投資を増やすことではなく、自社の戦略を実現するために、人という資本へどのように配分するかを考えることです。

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