柔軟性の時代に問われる“成果”という基軸

2025年、ロート製薬が発表した「ビヨンド勤務」は、日本企業の働き方改革の文脈において象徴的な出来事だ。週3日・週4日の勤務を選択し、残りの日数を複業や学び、社会活動に充てることを認める。勤務日数に応じて給与を3/5・4/5に設定しながらも、福利厚生や評価制度は週5勤務者と同等に扱うという大胆な制度である。

一見すると、“自由”を最大化する取り組みに映るが、その裏には「成果」という軸が強く意識されている点に注目すべきだ。企業が人材の多様化や労働人口の減少に直面する中で、働く自由を認めることは「善」ではある。しかし、自由と成果のバランスをいかに設計するかこそが、これからの人材マネジメントの本質的課題である。

単に「働き方を柔軟にする」だけでは、企業の持続性は担保されない。重要なのは、自由の代償として成果が求められるという暗黙の契約を、企業も個人もどれだけ成熟して受け入れられるかだ。

ロート製薬がこの制度を設計する際に重視したのは、単なる労働時間の短縮ではなく、社員が社外で得た経験や知見を「職場に還元する」点にある。つまり、「自由」を通じて生まれた学びが成果につながる仕組みをいかに整えるか。それがこの制度の真の挑戦なのである。

平等と公平─柔軟性時代の人事マネジメントに潜むジレンマ

柔軟な働き方を推進する際に、避けて通れないテーマが平等性と公平性のジレンマである。

平等とは、全社員に同一の条件を与えること。公平とは、個々の状況に応じた最適な条件を整えること。これまでは「平等」を原則とした人事制度のもと、同じ給与体系・同じ昇格ルールの中で社員を評価してきた。しかし、週3勤務・複業可・リスキリング休職といった多様な制度が並立する時代において、“全員同じ”という考え方そのものが機能しなくなっている。

ここに、日本企業特有の“暗黙の公平感”との衝突が起きる。例えば、週3勤務の社員と週5勤務の社員が同等の評価制度で評価されるとき、現場には必ず「不公平感」が生まれる。これは制度の問題というよりも、「何をもって成果とするか」の共通認識が曖昧なまま自由度だけが先行した結果である。

ゆえに、柔軟性の導入と同時に必要なのは、成果定義の明確化と透明性である。評価の指標を「時間」や「滞在」ではなく、「価値の創出」に転換できるかどうか。それが、自由と公平のバランスを取るための最も重要な人事技術となる。

キャリア自律の光と影─中外製薬が示す「個」の覚醒

一方で、中外製薬のジョブポスティング制度に象徴される「キャリア自律」は、もう一つの日本的転換点を示している。

同社は会社主導の異動を原則廃止し、社員が自らの意思で異動を選ぶ「ジョブポスティング制度」を導入した。結果、全社員の約2割が手を挙げ、社内異動の7割近くが自発的応募によって実現しているという。驚くべきは、制度の理念が単なる「自己責任」ではなく、「個を描き、個を磨き、個が輝く」という明確な哲学のもとに設計されている点である。

ここでも鍵となるのは、“自由”の裏にある責任だ。

キャリアは会社が与えるものではなく、社員が自ら創るもの。この考え方は、働く個人の主体性を尊重する一方で、企業にとっては「支援の限界」と「関与の境界」を突きつけることになる。

またある側面では、人材の新しい確保の仕方と考えることもできる。つまり、大企業においては、社外に流出されるよりも、社内の他のポジションに興味・関心を持ち、異動希望してもらえる方が損失が少ないからである。

こう考えると、とりわけ中堅・中小企業においては、「キャリアは自分で選ぶもの」という思想がそのまま適用できるとは限らない。人材リソースの制約や育成機会の偏在がある中で、放任に近い“キャリア自律”は、むしろ人材流出やモチベーション低下を招くリスクが、これまで以上に助長されるのである。

重要なのは、キャリア自律を制度として導入することではなく、それを支える「対話と支援の仕組み」を設計することである。中外製薬が「不合格者にも必ずフィードバックを行う」とルール化しているのはその象徴だ。キャリアの自由を与えるだけでなく、「なぜその挑戦が実現しなかったのか」「次に何をすれば良いのか」を丁寧に返す。ここに、人事制度の真の成熟がある。

雇用責任の再定義─企業はどこまで個人のキャリアに関与するのか

「キャリアは個人のもの」という思想が広がる一方で強く感じるのは、企業が雇用責任をどのように再定義するかという問題である。

バブル期や高度成長期、企業は「雇用の継続」をもってキャリア形成を保障してきた。だが、今や終身雇用も年功序列も事実上崩壊し、企業は「機会提供者」へと役割を変えつつある。その結果、「キャリアは自分で選べ」という言葉が便利な免罪符のように使われるケースも見られる。

しかし、これは裏を返せば「企業は責任を放棄した」とも言えるのではないだろうか?本来、企業には社員のキャリアに対して関与する責任がある。方向性を提示し、選択肢を提示し、成長機会を設計する。それらを怠った上で「キャリアは自分で」と語るのは、無責任と言わざるを得ないのではないだろうか?

ロート製薬が「学び直し」「社会活動」「複業」を制度化している背景にも、この認識がある。企業が社員の外部活動を自由にしてあげるのではなく、それを成長資産として認めるという構造転換である。企業がキャリアの土壌を整え、個人がその上に芽を出す。この相互依存的な関係こそが、これからの雇用責任の在り方だろう。

成果の定義を再構築する─時間から価値へ

働き方の自由度が増すほど、評価の基軸は「時間」から「価値」へとシフトする。だが、現実の多くの企業では、依然として評価が勤務時間や出社頻度に引きずられている。

この構造を転換するには、言わずもがなではあるが、「成果とは何か」を再定義する必要がある。

単なる数値目標ではなく、組織や社会にどのような価値をもたらしたのか。どれだけ新しい知見を社内に還元したのか。どれだけチームを成長させたのか。このような質的成果を可視化し、評価に組み込む仕組みが必要であろう。

中外製薬の「ビヨンド目標(挑戦的目標)」のように、未達であっても挑戦そのものを加点評価する設計は、日本企業の文化に適合した優れた手法だといえる。失敗を減点ではなく、「挑戦を文化化する」方向へ転換することが、成果主義の新たな形を示している。

縁側型社会への回帰─企業と個人の間の中間領域を育てる

かつてYahoo!が提唱していた“縁側”という雇用や関わり合いの考え方、つまり社内と社外の中間に位置する半雇用的な考え方・関わり方は、時代を先取りしていたと言える。今日、ロート製薬のビヨンド勤務や中外製薬のジョブポスティング制度を見ても、方向性は似ている。それは「会社か個人か」ではなく、「会社と個人のあいだ」に新しい関係性を築こうとする動きだ。

この中間領域こそ、今後の人的資本経営における最大の課題であり、可能性である。企業が個人を完全に抱え込むのでもなく、完全に突き放すのでもなく、共に育つ関係性をマネジメントする力が求められる。

そのためには、制度よりもまず文化が問われる。評価・報酬・キャリア支援すべての根底に、「人は多様であることを前提に、成果を共に作る存在である」という思想が必要であろう。平等ではなく公平を、拘束ではなく信頼を、管理ではなく対話を。その哲学を持たないまま制度だけを導入しても、形骸化は避けられない。

最後に─“労働力が高級品になる時代”の人材マネジメントへ

労働人口が減少し、AIが労働の再定義を進める中で、人の労働は「高級品」になっていく。この時代において、企業に求められるのは「人を安く使う仕組み」ではなく、「人が最も輝く仕組み」である。

ロート製薬の「働く自由」、中外製薬の「キャリア自律」。この2つは表面的には異なる方向の改革に見えるが、その本質は同じだ。すなわち、「働く人が自ら選び、挑戦し、その成果を社会に還元する」こと。そして企業はその挑戦を支えるプラットフォームとして進化することである。

働き方の自由と成果の追求。この両立をどう実現するかが、これからの日本企業の最大の競争優位性を決める。人材マネジメントはもはや制度設計ではなく、哲学の実装の時代に入った。それぞれの企業が「自社の文脈」で、自由と成果のバランスを問い直すこと。そこにこそ、これからの日本企業の未来がある。

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