近年、人事を取り巻く環境は急激に変化しています。同一労働同一賃金の施行によるジョブ型雇用制度の導入、終身雇用制や年功序列制の崩壊など旧来の制度が刷新を余儀なくされているのです。こうした雇用環境の変化から、人事も体制変更の必要性に迫られています。そこで今回はこれからの時代で、事業成長に貢献する人事になるためのポイントをHRBPの観点から解説します。
HRBPとは?
最近、日本企業でもHRBPを導入する企業が増えてきました。HRBPとはどのような役割なのでしょうか。
HRBPの意味と定義
HRBPは、HRビジネスパートナーとも呼ばれます。単なる人事担当者ではなく、事業部門のパートナーとして人と組織の観点から戦略的に事業成長をサポートするプロフェッショナルがHRBPです。HRBPの主な役割は、事業部門の成長を実現するための問題解決と定義できます。
事業成長を実現するためであれば、採用、育成、離職防止、組織開発など専門的な人事の立場からあらゆる施策を企画、立案、実行します。HRBPは、こうした施策の実行の必要性を部門長へ提言し、実際に自ら実行するのです。時には部門長をコーチングすることで部門の改善を促すこともあるでしょう。そのため、HRBPには幅広い専門的な人事の知識に加えて、高いコミュニケーション力が求められます。
ウルリッチ教授の定義
HRBPという言葉は、1997年にミシガン大学ビジネススクールのデイビッド・ウルリッチ教授が提唱しました。ウルリッチ教授は著書「MBAの人材戦略」の中で、それまで経営学の中で言及されてこなかった人事機能の果たす役割について初めて問題提起しました。
「MBAの人材戦略」でウルリッチ教授は、人事部門が経営に対して提供する価値を4つの概念に整理しました。その4つの概念は、「HRビジネスパートナー」「変革エージェント」「管理エキスパート」「従業員チャンピオン」です。
ウルリッチ教授は、そのうちHRビジネスパートナー(HRBP)について、「経営と事業のパートナーとして企業戦略に基づいて人事戦略を実行する役割」と定義しています。HRBPの考え方はその後多くの企業で取り入れられ、従来の雇用管理中心の人事部門ではなく、経営者のビジネスパートナーとして企業成長を実現する人事部門へのパラダイムシフトを起こしました。
なぜHRBPが求められるのか?
HRBPの考え方は、現在では人事部門におけるスタンダードになりつつあります。なぜここまでHRBPが求められるようになったのでしょうか。
人材獲得競争の激化
最も大きな背景として、近年の人材獲得競争の激化があげられます。アメリカや日本といった先進国では、経済成長と産業構造の変化とともに肉体労働者よりも知識労働者を含むホワイトカラーの割合が増えてきました。
戦後の復興政策として実施された傾斜生産方式により、石炭と鉄鋼の増産に多くの肉体労働者が集められ、続く高度経済成長期にも特需やインフラ整備の必要性にともない、同じく肉体労働者が多く求められました。しかし現在の日本では、肉体労働よりも企画や設計ができる知識労働がより強く求められています。肉体労働者中心の時代では、体力のある人であれば誰でも働くことができました。しかし、知識労働者中心の現代では、高い付加価値を生み出せる優れた技術や知識を持つ人材が優遇されます。
例えば最近では、最先端のAI技術に精通した人材は非常に高額な年収で採用されるケースが多いでしょう。このように知識労働者が中心である知識社会では、どれだけ優れた知識労働者を採用できるかで企業成長が左右されるといっても過言ではありません。こうした人材獲得競争の激化は、人事部門に大きな変化をもたらしました。
以前の日本企業では、春先に新卒一括採用を行い、大卒者を一律の給与で採用する手法が一般的でした。しかし現在では、通年採用や新卒でも高い技術力があれば年収1,000万円以上の高待遇で採用する企業が増えています。いかに優秀な人材をするかが各企業の経営陣や人事部門の最大の関心事項なのです。このような人材獲得の競争が激化する時代では、HRBPが事業の現場に近い位置で必要な人材を見極めてタイムリーに供給する役割がとても重要です。そのため、各企業ではHRBPと採用部門が連携しながら採用活動を行っています。
雇用環境の変化
日本では雇用環境が大きく変化しています。かつての日本では、終身雇用制が当たり前でした。しかし最近では、転職者の増加傾向が続き、2019年には過去最多の351万人が転職しました。日本でも徐々に雇用の流動化が高まってきています。
また、近年の働き方改革によりテレワークやフレックスタイム制が普及しました。働き方の多様化は、組織の一体感づくりを困難なものにしつつあります。例えばオフィスワークでは、オフィスという場所に集まることで会社としての一体感を保つことができていました。
しかし、テレワークやフレックスタイム制による多様な働き方の中では、従業員同士が同じ時間に同じ場所で働く機会が以前よりも圧倒的に少なくなっています。加えて転職市場の活性化により、転職者や転職機会も増えているため、企業の組織づくりは以前よりも難易度が高まっているのです。そのため、HRBPが現場に近い位置でいち早く離職兆候やモチベーション低下を見極めて対策を講じる必要性が高まっています。
参考:総務省統計局「増加傾向が続く転職者の状況 ~ 2019 年の転職者数は過去最多 ~」
こうした環境変化を理由に、HRBPの考え方が日本企業でも普及しつつあるのです。
HRBPと従来の人事との違い
HRBPを導入するとなると、どこか特別な取り組みのように感じられます。実際にはHRBPと従来の人事とはどのような違いがあるのでしょうか。
HRBPの仕事内容と部門人事との違い
HRBPはよく従来の部門人事と混同されやすい概念です。しかしHRBPは部門の課題解決が役割である点が大きく部門人事と異なります。部門人事は、あくまでも本社人事の「出張所」として部門での労務管理や給与計算などの手続きを中心に担当します。企業によっては、研修や採用も部門人事が担う場合もあるでしょう。一方でHRBPは本社人事の出先機関ではなく、部門に所属する人事コンサルタントというイメージです。部門の課題を人と組織の観点から積極的に解決していきます。優れた解決策であれば、逆にHRBPが行った施策を本社人事が採用することもあり得るのです。HRBPは部門のパートナーとして課題解決を行う点で、部門人事とは全く違う役割を担っています。
HRBPと戦略人事
つい最近まで日本の人事界隈では「戦略人事」という言葉が流行っていました。現在では「戦略人事」はHRBPと同じく人事のスタンダードとして定着しています。戦略人事とはどのような考え方なのでしょうか。
ウルリッチ教授による「戦略人事」の定義
「戦略人事」の考え方は、先ほどご紹介したウルリッチ教授の著書「MBAの人材戦略」で提唱されました。「戦略人事」とは、企業の経営戦略に沿って人事戦略を立案、実行する考え方と定義されています。従来の人事施策は企業の経営戦略と連動していないケースが多くありました。
そのため人事部門は従業員の給与支払いや職場環境の維持など、従業員を物理的に管理する業務を担っていました。しかし戦略人事では経営戦略と連動した人事戦略により、人事部門が能動的かつ機動的に戦略の実現に向けて採用や育成などの人事施策を積極的に実行していきます。こうした戦略人事の考え方を実現するために、ウルリッチ教授は、戦略人事に必要な人事部の4つの機能を提唱しています。
ビジネスパートナー
人事部が経営者のパートナーとして積極的に経営に参画していく機能です。経営戦略実現のために、人事は人と組織の観点からあらゆる手段を実行します。この考え方がHRBPの基礎となりました。
組織開発と人材開発
人事部門が戦略目標の達成に向けて組織づくりと人材開発を行う機能です。組織づくりには組織風土改革やモチベーション向上による組織生産性の向上など、組織の内面的な部分への対応も含まれます。また人材開発は、人材育成だけではなく、採用や外部人材の活用を通じて必要なタイミングで必要な人材をタイムリーに供給する取り組み全般が含まれています。
センター・オブ・エクセレンス(CoE)
戦略人事の考え方では、人事部門は専門的な知識をもとに経営戦略を成功へと導くことが求められます。センター・オブ・エクセレンス(CoE)は、センター・オブ・エキパタイズともよばれ、人事の「専門家集団」を意味しています。CoEは、社労士のような労働法の専門家だけではなく、人材育成、人事企画、採用などそれぞれの業務分野における専門家を指します。つまり、戦略人事においては、人事部門は幅広い分野における専門家集団でならなければならないということです。
オペレーションズ(OPs)
オペレーションズ(Ops)は人事部門の機能のうち、給与支払いや従業員の手続きなどのオペレーション機能のことです。どんなに戦略的な人事部門になっても、事務作業は必要です。人事部門の事務作業は、人に関わるものであり、ミスは絶対に許されません。戦略人事として経営戦略に基づいた人事戦略を実行しながらも、オペレーションは確実にこなす必要があります。
HRBPは戦略人事にどう貢献するのか
戦略人事の考え方の中で、HRBPはどのような役割を果たすのでしょうか。まず戦略人事の「ビジネスパートナー」の考え方のうち、一般的にはHRBPは事業部門のパートナーとして機能します。会社の経営陣や本社人事よりも、事業に近い立場で人と組織の観点から問題解決を行うのです。
場合によっては事業部門に所属しながら、事業に必要なあらゆる人事施策を実行します。HRBPは特に事業部門の責任者のパートナーとして、事業の成長に必要な人材の確保や組織づくりを行うことが役割です。必要であれば時には責任者に対して、厳しい意見をぶつけることもあります。
また時には、責任者の信頼のおける相談相手として事業部門の未来をつくるために親身になってコーチングやカウンセリングを行う場合もあるでしょう。このようにHRBPは事業に近い立場であらゆる手段を講じて、事業戦略の実現に貢献していきます。
HRBP体制が成功するポイント
従来の人事部門の体制から、戦略人事へと転換する場合、HRBPは企業にとって初めて導入する機能となります。HRBPがうまく機能するにはどのようなことに注意するべきなのでしょうか。
まずは部門との信頼関係を築く
ここまでご紹介の通り、HRBPは事業部門のビジネスパートナーとして事業の現場で機能します。これまでHRBPが存在していなかった事業部門からすれば、いきなりHRBPが来てもどう扱えばよいかわからないと感じるはずです。場合によっては本社人事のスパイだと勘違いされ、変に警戒されることも往々にしてあります。そのためHRBPが着任したら、まずやることは部門との信頼関係構築です。
部門長に対してHRBP自身が部門の事業成長にコミットすることを伝え、事業成長のためなら人と組織の観点からあらゆる手を尽くす姿勢を見せましょう。また、部門長だけではなく、部門の社員に対しても同じチームの一員として同じ目標に向かって仕事をすることを積極的に伝えていくべきです。HRBPが真の「パートナー」となるためには、初期の信頼関係の基盤づくりがとても重要なプロセスとなります。
現場のニーズを最優先する
HRBPはパートナーとして、現場のニーズを先読みしてとらえなければなりません。例えば離職兆候やスキル不足等による生産性の低下などのリスクが予見されるようなら、いち早く部門長へ報告を行い対策の検討を行います。また現場から組織風土の改善や必要な知識・スキルについての要望があった場合は、要望に応じた施策を速やかに提供する必要があるでしょう。このように、どんな小さなことでも現場のニーズを最優先して対応できれば、部門とHRBPとの信頼関係が強固なものになっていきます。ひとつひとつの現場の声に対応することは地味ですが、HRBP体制の成功に不可欠な取り組みと言えるでしょう。
時には本社人事にNOという
HRBPは常に事業部門の成功を目的として活動しなければなりません。もし万が一、事業成長を損ねるような取り組みがあれば、たとえ本社人事からの指示であってもNOという必要があります。あくまでもHRBPは事業部門の見方です。場合によっては、事業成長の実現のために全社の制度を変更するように本社人事へ訴える必要もあるでしょう。このように、HRBPが事業にコミットして事業部門のパートナーとしての姿勢を崩さないことがHRBP体制成功にとってとても重要な要素です。
HRBPの事例
HRBPの概念についてお判りいただけたのではないでしょうか。最後にHRBPの実際の事例を見てみましょう。
GEヘルスケア
GEのヘルスケア部門であるGEヘルスケアでは、HRBP体制を導入しています。医療機器などを扱う事業の成長を担うため、HRBPは常に事業のことを考え、自らに5つの問いかけを行っているそうです。
・顧客が同業他社ではなく、私たちの会社を3年後もパートナーとして選び続けるには、私たちの会社に必要な能力・マッスルは何か?今その能力・マッスルはあるか?
・短期と長期の市場需要を理解するためには、どのような能力がチームメンバーに求められているか?内製化できるか。外との連携が必要か。
・自分たちの会社を成功に導くHR戦略をどのように構築するのか。そのHR戦略は事業戦略に紐づいているか。事業戦略はミッションを成し遂げるものか。
・組織の機動力はいかほどか。適材適所の人員配置、活用、育成ができているか。健全な新陳代謝を促す組織の自浄力はいかほどか。
・会社はHR部門に何を求めているのか。その期待に応えられる体制、能力を備えているか。
参考:〈HR RUNNERS vol.6〉見えてきたHRBPの本質 ~戦略人事 最前線からのレポート~
こうした問いをもとに、GEヘルスケアのHRBPは事業戦略の実現に向けて事業部のメンバーとともに様々な取り組みを行っているそうです。
LINE
SNS運営大手のLINEもHRBP体制を導入しています。LINEでは既存事業であるLINEに加え、LINE Payなどの新規事業が次々と立ち上がっています。そのため、同じ社内でも安定した既存事業と急成長を遂げる新規事業の両方が混在する環境にあるそうです。
安定的な既存事業では、従業員のモチベーション管理や職場環境の見直しなど、比較的ゆるやかな対応を行います。一方で急成長を遂げる新規事業では、必要な人材を大量に採用しながら、急拡大する組織の整備を行います。急成長は時には痛みを伴うため、部門長や従業員のメンタルヘルスケアや離職防止施策の実行も欠かせないそうです。
そのためHRBPチームは成長段階の異なる複数の事業を同時に対応しながら、それぞれの事業の成長をサポートしています。LINE社のHRBPは、まさに急成長するIT企業における典型的なHRBPの事例と言えるでしょう。
まとめ
これまでの人事部門は、本社人事が中心となって長期的なサイクルで人材を管理する機能が中心でした。しかし、変化の激しい現代では、なるべく早い短期的なサイクルで人と組織に関する問題解決を図る必要があります。
例えば新型コロナウィルスの影響でさまざまな制度やシステム、ツールの導入・運用が急務となったように、1年前に不要だったスキルが急に必要になることもあるでしょう。実際に大きな打撃を受けた飲食業の中でも、いち早くデジタルトランスフォーメーションによってデリバリー型の業態へ転換できた企業は厳しい社会環境の中でも黒字化を達成しています。
こういったデジタルトランスフォーメーションにはデジタル人材が必要不可欠です。従来の対面ビジネス中心の飲食業界では、デジタル人材は必ずしも必要ではなかったでしょう。しかしこうした社会環境の変化を見越して、人事部門がいち早くリスクに備えてデジタル人材を確保できれば環境変化をしなやかに乗り越えることもできるはずです。このように、現代ではHRBPの考え方に代表されるように人事部門が戦略人事として機能することが強く求められています。
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