
「戦略は組織に従う」か?「組織は戦略に従う」か?
「戦略は組織に従う。組織は戦略に従う。」このフレーズは経営論の世界で長く語り継がれてきた。しかし実際の企業現場において、戦略と組織の関係はそんなに単純ではない。先日、ある大手食品メーカーの方と話をした。同社は業界のトップブランドとして知られているが、近年は新商品の開発が滞り、組織の活力低下が課題になっているという。優秀な人材が揃い、戦略的思考も十分にある。それでも成果が出ないのはなぜか。私はその原因を、「文化と風土」に見出している。戦略は組織に従うのでも、組織が戦略に従うのでもなく、戦略は“文化”に従い、組織は“文化”をつくる。つまり、企業の真の推進力は、戦略と組織の間にある「文化・風土」という見えざる存在だと私は考える。
TOPPANが挑む“文化との戦い”
そのことを象徴するのが、旧凸版印刷、現TOPPANの取り組みである。かつては「印刷会社」のイメージが強かった同社だが、現在ではその印刷事業は全体の30%を切っており、事業の中心はすでにデジタルマーケティング、エレクトロニクス、パッケージ、建装材など多岐にわたっている。紙の上に印刷するのではなく、社会の上に新しい価値を印刷する会社へ。その変革の本質は、印刷からDXへという単なる事業転換ではない。長年積み重ねてきた企業文化との“戦い”である。TOPPANは「イノベーション創出」を企業DNAとして掲げており、その源泉を“人財”に置いている。そして、イノベーションを生み出すためには、従業員一人ひとりのウェルビーイング(幸福度)が欠かせないという哲学を明確にしている。つまり、制度改革の目的は「効率化」ではなく、「挑戦する文化」をどう作るかにある。
変化のスピード格差/戦略は速く、組織は遅い
今日、戦略の変化スピードはかつてないほど速い。市場環境や技術革新に応じて、経営戦略は半年単位で見直される。一方で、組織や人の変化はどうか。制度を変えることは容易でも、それを“使いこなす人”が育つまでには時間がかかる。この「スピードの非対称性」こそ、現代組織の本質的課題である。TOPPANの改革はまさにこのギャップを埋める試みだったのであろう。同社が取り組んだのは、人事制度を通じて文化そのものを変える挑戦だと言えそうだ。
ジョブ型人事制度/若手と専門職のための再設計
TOPPANは2022年に一般層を従来の職能等級制度から「TOPPAN版ジョブ型人事制度」へと移行、さらに2024年には管理職層を「職能資格制度」から「役割等級制度」に転換した。この制度改革では、人事課題を3つの軸で整理している。
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若年層の抜擢と報酬カーブの早期立ち上げ
優秀な若手を早期に登用し、給与カーブを引き上げることで採用競争力を高め、モチベーションを維持する。 -
職群ごとの成果を反映した処遇の設計
全職群統一の給与体系を改め、「営業」「開発」「DX」など職群ごとのアウトプットを評価軸に組み込む。 -
専門人財の確保と横並び処遇の是正
デジタル人財など専門職を外部市場から採用しやすくし、入社時の一律処遇を廃止する。
これらをもとに、職群を4分類(事務管理/営業企画/技術開発/DX)に再構成。等級は5区分から3区分へ簡素化し、若手の昇進を促進する仕組みとした。さらに、従来の「役付手当」を廃止し、役割期待給という新たなグレード制を導入。役割に応じて毎年見直され、賞与考課によって半期ごとに反映されるという、俊敏で実践的な制度になっている。
管理職制度改革/“資格”から“役割”へ
TOPPANが導入した新たな役割等級制度は、旧来の職能資格制度の限界を打破するものだったようだ。課題は3つあったそうだ。
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資格制度の年功化と制度疲労
昇格試験合格者を自動的に昇進させる仕組みが、現場の実態と乖離していた。 -
管理職の定義が曖昧
役職定年後の社員も「管理職」として扱われるケースがあり、役割と報酬が一致していなかった。 -
60歳前後の処遇の中途半端さ
役職定年後も長期にわたって“部長”と呼ばれ続け、モチベーションが維持できない構造だった。
この課題に対し、TOPPANは処遇基準を「資格」から「役割」へ変更し、組織の長を明確に“管理職”と定義。一部の高度専門職のみを「エキスパート」として例外扱いとした(全体の1%以下)。さらに「プロフェッショナル職」を廃止し、役職定年後は非管理職の「専任職」とする新体系を整備した。加えて、呼称制度も刷新し、役員を含めて「さん付け文化」へ転換。年齢・肩書よりも“役割で人を見る”という新しい価値観を制度面から後押ししている。
ウェルビーイングと挑戦するカルチャー
TOPPANの人事改革の背景には、「ウェルビーイング経営」という大きな思想がある。従業員の幸福度を高めることで、企業と社会に価値を還元する。その“好循環”を設計している。従業員がイノベーションを起こし、社会を豊かにする。社会がそれを受け入れて利益をもたらし、その利益を社員に還元する。社員のモチベーションが再び高まり、新しい挑戦が生まれ、この循環を人事制度が支える。そのための土台として、「挑戦するカルチャー」を育む3つの柱を掲げている。
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挑戦できる風土・環境
心理的安全性を高め、失敗を恐れずに行動できる職場。 -
多様な人財と多様な働き方
ジョブ型による流動性と専門性を両立し、多様性を組織力に変える。 -
安心・安全な職場環境
心身ともに健康であることを前提に、ウェルビーイングを経営基盤とする。
TOPPANはこの3つの軸を通じて、“挑戦が伝統になる会社”を目指している。
制度から文化へ/組織人事の本質
制度は形を変えやすい。しかし文化は時間がかかる。TOPPANの事例が示すのは、人事制度改革とは制度設計ではなく文化設計であるということだ。どんなに精緻な制度をつくっても、それを受け入れる土壌がなければ定着しない。逆に、文化が整えば、制度は自然に動き出す。組織人事の役割は、制度をつくることではなく、制度が息づく「文化の温度」を整えることにある。そのためには、現場との対話、社員の声への傾聴、そして変化を阻む人々への粘り強い関わりが欠かせない。
戦略も制度も、文化に従う
戦略は組織に従う。組織は戦略に従う。しかし今の時代においては、戦略も組織も文化に従う。文化は企業の無意識であり、そこに変化が起きなければ、戦略は形骸化する。先に事例に出したTOPPANの挑戦は、制度改革を通して文化を変え、文化を通して戦略を実現しようとする“人事が経営を動かす”象徴的な取り組みである。制度を超えて文化を設計する。それこそが、組織人事の次の使命であり、これからの日本企業に求められる本質的な変革だ。
TOPPAN社に関する参考出典:Japan Innovation Review
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