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はじめに:人的資本経営は「自社の中」から外へ出なければならない
2026年後半、日本企業の人的資本経営は、いよいよ「社内最適」の限界に直面しています。前号では、福利厚生という名の甘いユートピアを排し、スキルの可視化に対する恐怖を解放へ変え、上司が管理を捨てて「意味」を創るファシリテーターへ進化すべきだと論じました。
「人的資本経営とは、従業員を甘やかすことでも、会社の美しいストーリーを飾ることでもなく、一人ひとりのスキルとWillを経営戦略に接続し、持続可能なパフォーマンスへ変換する構造転換である。」この点は、もはや疑いようがありません。
しかし、ここでさらに一段、議論を進めなければなりません。
スキルを可視化する。
スキルギャップを把握する。
AIエージェントを導入する。
ここまでは、多くの企業がようやく語り始めました。では、そのスキルの「物差し」は、どこまで通用するのでしょうか。
自社の中だけで意味を持つ言葉なのか。
産業を越えて通用する言葉なのか。
グローバルな労働市場でも価値の証明書として機能するのか。
この問いを曖昧にしたまま進める人的資本経営は危ういものになります。「我が社では、このスキルをこう定義しています」と胸を張っても、その定義が一歩外に出た瞬間に通用しないのであれば、それはスキルタクソノミーではなく、社内方言です。社内方言でいくら人材を評価しても、従業員の市場価値は高まりません。むしろ、従業員を自社の中に閉じ込める、見えない檻になってしまいます。
人的資本経営の次のステージは、「自社専用の人材開発」から「社会で通用するスキル資本の形成」への転換です。会社人を育てるのではなく、職業人を育てる。自社で囲い込むのではなく、社会で通用するプロフェッショナルを増やし、それでも「この会社で働きたい」と思えるEXを設計できるか。これが本丸です。SP総研のSPI(Sustainable Performance Index)の視点から見れば、高く評価されるべきなのは社内制度の多さではありません。従業員のスキルが外部互換性を持ち、経営戦略、本人のキャリア自律、組織成果を同時に高めているかです。
AIに勝てるスキルを、ポエムではなく資本へ変換せよ
マッキンゼーが提示した「AIに勝てる3つのスキル」は、2026年の人的資本経営で重要な示唆を持っています。
志を抱く能力、判断力、真の創造性。
この3つは、AIエージェントがどれだけ進化しても、人間が担うべき中核的な領域です。
しかし、日本企業はこうした概念を、すぐに「人間力」「熱意」「地頭」「胆力」といった曖昧な言葉へ変換してしまいます。そして、曖昧な言葉は、曖昧な評価を生み、曖昧な育成を生み、最終的には曖昧な開示へと堕ちていきます。
「志を抱く能力」とは、単に夢を語る力ではなく、実現したい未来を言語化し、周囲を巻き込み、行動変容を起こす力です。
「判断力」とは、AIの出力の前提を疑い、リスクを見極め、説明責任を果たせる意思決定を行う力です。
「真の創造性」とは、奇抜な発想ではなく、既存の枠組みでは解けない問いを設定し、異なる知識を接続し、実装可能な価値へ落とし込む力です。
つまり、AIに勝てるスキルとは、AIにはない神秘的な人間性ではありません。AIを使いこなし、AIの限界を見抜き、AIでは設定できない問いを立て、AIでは引き受けられない責任を引き受ける力です。SPIの視点では、志も判断力も創造性も、資本化されなければ人的資本ではありません。資本化とは、それを定義し、観察し、育成し、成果との関係を説明できる状態にすることです。
「彼は志が高い」「彼女は判断力がある」で満足している限り、AI時代の人材マネジメントは前に進みません。問うべきは、「どのような場面で、どのような行動を取り、どのような成果を生み、その行動を再現可能なスキルとしてどう定義するのか」です。AIに代替されない人間の価値を守るために必要なのは、人間力を叫ぶことではありません。人間力を、逃げ場のないレベルまでスキルとして分解することです。
企業内大学を“社会のコモンズ”へ:会社人ではなく職業人を育てる
日本企業の人材開発が抱える最大の問題の一つは、「会社人」を育てすぎてきたことです。会社固有の文化や歴史、顧客理解、業務プロセスを学ぶことは重要です。しかし、それが行き過ぎると、企業内大学や社内研修は「自社専用スーパーマン」を量産する装置になります。
社内では何でも知っている。社内調整はうまい。根回しもできる。過去の経緯にも詳しい。しかし、一歩外に出て「あなたの専門性は何ですか」と問われた瞬間に、言葉に詰まる。これは個人の責任だけではありません。会社が、その人の経験を社会で通用するスキルへ翻訳してこなかったことの結果です。
イタリアの職業教育や産業クラスターの発想が示すのは、スキルを一社の所有物ではなく、社会のコモンズとして捉える視座です。企業、教育機関、地域、産業が連携し、職業やスキルを基軸に人を育てる。そこでは、会社名よりも「何ができる人なのか」が重視されます。
日本企業が行うべきは、メンバーシップ型を全否定することではありません。会社への帰属を土台にしながらも、その上に「職業人としてのレイヤー」を重ねることです。会社のプロである前に、社会で通用するプロである。その状態をつくることが、これからの企業内大学の使命です。
そのためには、企業内大学を閉じた社内教育機関のままにしてはいけません。産業別のスキル標準、地域の教育機関、他社との共同プログラム、越境学習、外部資格、プロジェクト型実践を組み合わせ、従業員が自社の外でも通用する学びを得られるように設計する必要があります。
「従業員が外で通用する力を持ったら、辞めてしまうのではないか」と心配する経営者もいるでしょう。しかし、逆です。外で通用しない人材を社内に囲い込む企業こそ、いずれ沈みます。外で通用する人材が、それでもこの会社で挑戦したいと思える環境をつくること。それが、真のEXであり、人的資本経営です。企業内大学を、従業員を社内に慣らすための檻から、社会に通用するプロを育てるプラットフォームへ進化させること。この「学びの開放」こそが中核です。
戦略的ジョブローテーションは、設計図なき異動ではない
日本企業は長らく、ジョブローテーションを人材育成の中心に置いてきました。複数部門を経験させ、修羅場をくぐらせ、視野を広げ、将来の幹部候補を育てる。この考え方自体を否定する必要はありません。問題は、それが本当に「戦略的」だったのか、という点です。
戦略的ジョブローテーションと呼ぶからには、そこには明確な設計図が必要です。どのポジションで、どのスキルを獲得させるのか。そのスキルは、次の配置でどのように活かされるのか。本人のWillとどう接続するのか。経営戦略上、どのケイパビリティを強化するための異動なのか。これらが定義されていなければ、ローテーションは単なる「部署のシャッフル」です。
メンバーシップ型だからジョブを厳密に定義しなくてよい、という考え方は、AI時代には通用しません。職務の境界が曖昧な組織ほど、そこで発揮されるスキルを詳細に捉える必要があります。
たとえば、営業から企画へ異動した人がいたとします。その人は「営業経験」と「企画経験」を積んだのでしょうか。それとも、顧客課題の抽出、仮説構築、データ分析、社内合意形成、収益モデル設計、プロジェクト推進といった具体的なスキルを積み上げたのでしょうか。前者は履歴書のラベルです。後者は人的資本としての捉え方です。
ローテーションを資本化するには、異動前に「獲得すべきスキル」を定義し、異動中に「発揮された行動」を記録し、異動後に「どのスキルがどの程度伸びたか」を検証する必要があります。さらに、その結果を次の配置やリスキリングに接続しなければなりません。AIは、業務アウトプットやプロジェクトデータから、どのスキルがどの文脈で発揮されたかを抽出できます。ただし、その前提として、スキルタクソノミーという共通言語が必要です。
戦略的ジョブローテーションとは、人をぐるぐる回すことではありません。スキルを意図的に積み上げ、本人のキャリアと組織のケイパビリティを同時に強化する投資設計です。異動の辞令を出すだけで人が育つなら、人事はこんなに苦労していません。辞令は魔法の杖ではないのです。

「学び放題」という名の愚策:リスキリングはビュッフェではなく処方箋である
近年、多くの企業が「学び放題」のプラットフォームを導入しています。
従業員が自由に学べる。
好きな講座を選べる。
利用率を高めるためにインセンティブも付ける。
一見すると、従業員に優しい施策に見えます。
しかし、リスキリングは趣味の習い事ではありません。企業が投資として行う以上、それは組織に必要なスキルと、個人が現在持っているスキルのギャップを埋めるための戦略的な処方箋でなければなりません。
本来の順番は明確です。まず、現在、誰が何のスキルをどの程度持っているのかを把握する。次に、経営戦略を実行するために、将来どのスキルがどの程度必要なのかを定義する。そして、その差分を埋めるために、誰に何を学んでもらうのかを設計する。この順番を飛ばして、先に学習プラットフォームだけを導入するのは、診察もせずに薬を山ほど配るようなものです。薬局というより、ほぼビュッフェです。楽しいかもしれませんが、病気は治りません。
「従業員が学んでくれない」という悩みも、実は順番を間違えているから起きています。なぜ学ぶ必要があるのか。その学びが本人のWillやキャリアにどうつながるのか。どのスキルギャップを埋め、どの挑戦機会へ接続されるのか。ここが見えていなければ、従業員にとって学習は追加業務でしかありません。
リスキリングを機能させるには、学習コンテンツを増やすことよりも、スキルの地図を整備することが先です。グローバル・タクソノミー、インダストリー・タクソノミー、コンテクスト・スキル。この3層で自社のスキル体系を整理し、どの学びがどのスキルに接続し、そのスキルがどの業務成果に結びつくのかを明確にする必要があります。SPIの観点から言えば、研修時間や受講率を誇る開示は、もはや評価に値しません。人的資本経営におけるリスキリングとは、学びの量ではなく、変化の証明なのです。
採用は科学か、博打か:新卒採用こそスキルの解像度を上げよ
新卒採用の現場では、「主体性」「挑戦心」「適応力」「熱意」といった言葉が今も飛び交っています。もちろん、これらは重要です。しかし、問題は、それをどう見極めているのかです。
限られた面接時間の中で、面接官が「この学生は主体性がある」と感じる。別の面接官は「少し物足りない」と感じる。基準は揃っていない。行動定義も曖昧。結果として、採用は科学ではなく、半分は博打になります。言ってしまえば、きれいな会議室で行われる「コイントス」(裏か表か、で確率は50%)です。
AI時代の新卒採用で必要なのは、学生の物語を聞くことではなく、行動を言語化させることです。
何に問題意識を持ったのか。
なぜそれに取り組んだのか。
どのように周囲を巻き込んだのか。
どんな失敗をし、何を学び、次にどう変えたのか。
ここまで掘り下げて初めて、主体性や挑戦心はスキルとして見えてきます。
ここでも自社専用の物差しに閉じてはいけません。コンピテンシー面接を機能させるには、求める資質を広義のスキルとして定義し、レベルごとの行動特性を明確にし、その基準を外部のスキルタクソノミーと接続する必要があります。「当社らしい人材」という言葉は、一見魅力的ですが、独りよがりな評価基準になれば、多様性も創造性も失われます。
さらに、AI代替リスクは若年層にとって深刻です。若手が下積みとして経験していた定型業務や初歩的な分析がAIに置き換えられ、基礎体力や暗黙知を獲得する機会が失われつつあります。だからこそ、企業は一次情報に触れる場、現場の摩擦を体験する場を意図的に設計しなければなりません。
若手に必要なのは、AIを使うスキルだけではありません。AIに何を問うべきかを判断する現場知、アウトプットを疑い、組み合わせ、アウトカムへ変換するAIオーケストレーションの力です。
新卒採用は、過去にやってきたことのラベリングではなく、未来の貢献可能性を見極める場なのです。
「倫理」は最後の聖域ではなく、最高難度のプロフェッショナル・スキルである
AIエージェントが自律的に判断し、実行し、組織の意思決定に深く入り込む時代において、最後に人間に残る領域は何でしょうか。多くの人は「倫理」や「哲学」と答えるかもしれません。その答えは正しいようにも思えます。しかし、正しいのは半分だけです。
問題は、倫理を「なんとなく正しいことを判断できるセンス」として扱ってしまうことです。日本企業の人事は、倫理観や誠実さを、長らく個人の性格や人柄の問題として扱ってきました。しかし、2026年の人的資本経営で、倫理は性格ではありません。最高難度のプロフェッショナル・スキルです。
AIの判断に透明性を与える。説明責任の枠組みを設計する。技術革新と社会的影響のバランスを取る。差別やバイアス、プライバシー侵害を防ぐ。これらはすべて、知識、判断基準、行動特性、実務経験を必要とするスキルです。
AIリストラの時代において、倫理は単なるコンプライアンス部門の仕事ではありません。経営、人事、現場マネジャー、エンジニア、採用担当者、すべての職種が持つべき基盤能力です。AIをどの業務に使い、どこで人間の判断を残し、誰にどのような影響が及ぶかを決めるのは、結局、人間だからです。
SPIの視点で言えば、倫理的資本を開示できる企業は強い企業です。AI活用方針を掲げるだけでは不十分です。AIによる意思決定にどのようなガバナンスを設け、従業員にどのような倫理的判断力を育成し、現場のジレンマをどう組織知へ変換しているのか。ここまで示して初めて、AI活用は信頼されます。
人事は、AI時代の「魂の番人」にならなければなりません。ただし、魂という言葉に酔ってはいけません。魂を守るには、制度、データ、教育、対話、ガバナンスが必要です。哲学をスキルとして定義し、日々の意思決定に埋め込むこと。これが、AI時代の人事に課された新しい責任です。
結びに代えて:人的資本経営とは、スキルを社会に開く経営である
ここで私たちが辿り着く結論は、明確です。人的資本経営の本質は、スキルを社内に閉じ込めることではありません。スキルを社会に開き、共通言語として流通させ、それを個人のキャリア自律と組織の競争力の双方へ接続することです。
AIに勝てるスキルは、人間力というポエムではありません。志、判断力、創造性、倫理、暗黙知、AIオーケストレーション。これらを具体的な行動特性へ分解し、育成し、証明できる状態にして初めて、人的資本になります。
企業内大学は、従業員を社内に慣らす装置ではありません。社会で通用する職業人を育てるコモンズへ進化しなければなりません。
ジョブローテーションは、人を回す慣習ではありません。スキルを意図的に積み上げる投資設計でなければなりません。
リスキリングは、学び放題のビュッフェではありません。スキルギャップを埋める処方箋でなければなりません。
採用は、印象と熱意の博打ではありません。行動のエビデンスと共通言語に基づく科学へ近づけなければなりません。
倫理は、性格の良さではありません。AI時代の最重要プロフェッショナル・スキルです。
これらすべてを貫くのが、共通言語としてのスキルです。自社専用の物差しに閉じた人的資本経営は、やがて限界を迎えます。従業員の価値を社外に説明できず、学びを成果に接続できず、採用も配置も育成も、結局は主観と慣習に戻ってしまうからです。
これからの人事に求められるのは、現場の多様な営みを、経営が判断でき、本人が納得でき、社会でも通用するスキルデータへ翻訳する力です。人事は、制度の管理者ではなく、スキルの翻訳家であり、人的資本の編集者であり、AI時代の倫理的な設計者でなければなりません。
形骸化した開示の墓標を積み上げるのは、もう終わりにしましょう。自社だけに通用する言葉で従業員を囲い込むのも、もう終わりにしましょう。一人ひとりのスキルを、外に開かれた共通言語へ変換する。そのうえで、AIという強力な相棒を使いこなし、個人のWillと組織の戦略を接続し、持続可能なパフォーマンスへ昇華させる。
SPIという冷徹かつ温かい鏡が照らしているのは、その未来です。2026年、人的資本経営は「人を大切にしている」と語る段階を終えました。これから問われるのは、「その人の価値を、社会に通用する資本として証明できるか」です。
共に、組織主導の時代を越え、個々の「人」が躍動する新しい人的資本経営の地平を切り拓いていきましょう。

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