― 医療方針・看護方針・経営方針の三軸を束ねる“理念”の力 ―

「医療の正義」と「経営の現実」の間で揺れる病院組織

病院経営は、他の産業とは決定的に異なる難しさを抱えている。それは「成果」や「評価」を一般的な事業会社のように数値化・定量化しにくいという点だ。人の命を預かる医療現場では、売上や利益といった経営指標だけで職員の働きを測ることはできない。「人の心に寄り添う医療」が求められる一方で、病院も一つの“事業体”として経営的合理性が求められる。この「使命」と「収益」の間に横たわるジレンマこそが、病院人事制度を設計する上での課題であろう。

病院を構成する三つの方針──「医療方針」「看護方針」「経営方針」──は、それぞれ異なる立脚点をもつ。医療方針は医師会や専門領域の指針に基づく専門性を軸とし、看護方針は患者への寄り添いやチームケアを重視する。一方、経営方針は理事長を中心に病院を持続的に運営するための方向性を定めるものであり、時に医療や看護の現場とは異なるベクトルをもつ。この三つの軸が交わるところに、人事制度の“歪み”が生まれるのではないかと考える。

「医師の方針を尊重すれば経営が成り立たない。経営を優先すれば、医療の本質が失われる。看護を中心にすれば、医師との連携が崩れる。」

こうした現実に直面してきた病院経営者は少なくない。

理念経営がもたらす“第4の方針”

この三つの軸を統合する新たな指針として注目されるのが、「理念経営」である。病院における理念経営においては富山県の吉本レディースクリニックはその成功事例として知られる。同院では「医療方針でもなく、看護方針でもなく、経営方針でもない」“理念”を掲げることで、病院全体のベクトルを揃えた。「なぜこの病院が存在するのか」「誰のために医療を行うのか」という存在意義を全職員が共有し、理念を軸に行動指針・人材評価・組織運営を構築している。

この「理念経営」は、医療者の倫理観と経営的合理性を対立ではなく“補完関係”として再定義する。理念という旗印があることで、医師・看護師・事務・経営陣が「共通の正義」をもって議論できる土台ができる。そしてこの理念を具体的な“行動”と“評価”に落とし込む仕組みこそが、人事制度の果たすべき役割である。

「人事制度で組織実行力を高める」ポイント

中小病院が経営環境の変化に対応し、理念を実行可能な組織へと変えるためには、単なる評価制度の導入では不十分である。中小病院の改革に対して、いくつかのポイントを整理する。

医療者としての優秀さと管理職としての優秀さを分けて考える
医療現場では、技術的に優れた医師や看護師がそのまま管理職に昇格するケースが多い。しかし、医療者として優秀であることと、組織を動かす管理者として優秀であることは、全く別のスキルである。管理職に求められるのは、経営指標(病床利用率・在院日数・単価など)を理解し、戦略を現場に落とし込む「組織実行力」といえるであろう。
つまり、病院におけるリーダーは「自ら動く人」ではなく「人を動かす人」でなければならない。そのためには、「人材育成力」「部門間連携力」「柔軟な調整力」など、組織運営のスキルを体系的に育てる仕組みが必要になる。評価のための制度ではなく、「人が育つ仕組み」としての人事制度設計が求められている。

役割と成果を明確に定義する
多くの中小病院では、主任や課長といった役職に就いても「役割」や「成果」が定義されていない。そのため、各部門でリーダーシップの発揮度合いにばらつきが生まれ、組織としての統一感が失われる。病院における人事制度では、職種・職位ごとに「期待される役割」「求められる行動」「成果の定義」を明文化することが第一歩となる。このとき重要なのは、経営理念と紐づけることだ。単なる「業績目標」ではなく、「理念を体現する行動」―思いやり・安全意識・チーム貢献など―を評価軸として定める。理念を行動レベルで翻訳し、それを日常的に伝達できる仕組みがあって初めて、理念経営が現場に根づく。

評価と教育を連動させる
評価制度の目的は「査定」ではなく「育成」にある。上司が部下を採点することではなく、期待するレベルにまで引き上げることが人事考課の本質だ。そのためには、絶対評価に基づく明確な基準設定と、日常的なフィードバックが欠かせない。多くの病院では、「評価できる上司がいない」として導入をためらうケースがあるが、これは逆である。評価する力を育てるためにこそ、人事制度が必要なのだ。上司が部下に向き合い、課題と成長ポイントを共有し、理念に基づいた人材育成を行う。これこそが「評価制度を通じて組織文化を変える」という本来の目的である。

年功的昇給から脱却し、役割・責任ベースの賃金へ
診療報酬の伸びが期待できない中で、年功的な昇給を続ければ病院経営は早晩立ち行かなくなる。一方で、単に賃金を抑制すれば職員の士気は下がり、離職を招く。そのため今後は、職務・役割に応じた基本給設定、責任の重さに応じた昇給上限設定、業績と連動した賞与分配といった、メリハリのある賃金体系への移行が必要だ。さらに、支給意図が曖昧な手当や属人性の高い手当は整理し、シンプルで透明性の高い制度へと再構築する。「誰が何に基づいて評価され、どのように報われるのか」を明確にすることが、信頼される人事制度の基盤となる。

理念×制度×実行=“組織文化”を創る

病院の人事制度における本質的なゴールは、「制度を整えること」ではなく、「制度を通じて文化をつくること」にある。医療方針・看護方針・経営方針という三つのベクトルを統合するためには、理念という共通言語が不可欠であり、その理念を実現する行動と評価をつなぐ仕組みこそが人事制度である。

特に近年は、保険診療と自由診療の境界が曖昧になりつつあり、医療の在り方そのものが問われている。「何をもって医療とするのか」「患者とどう向き合うのか」という根本的な問いに対し、組織として一貫した答えを出せるかどうかが、病院の存続を左右する時代に入っている。その意味で、病院経営における人事制度とは、単なる管理の仕組みではなく、理念を実装する「文化装置」である。経営・医療・看護という三つの異なる正義を結びつけ、現場に「理念を軸に行動する人」を増やしていく。それこそが、これからの病院経営が目指すべき“人事制度改革”の到達点ではないだろうか。

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