
「キャリア自立」という言葉が、急に現実味を帯びてきた
みずほフィナンシャルグループが導入した新人事制度「奏(かなで)」は、「キャリア自立」を正面から掲げたことで注目を集めました。
キャリア自立という名のもとに、学び直しやリスキリングを後押しし、社員が社内外で選択肢を広げられるようにする。
ここまではいかにもこれからの人事らしい話です。
ただ、この制度を象徴づけたのは別の一言でした。
「優秀な人材が外に出ていく可能性があっても、それは仕方がない」
つなぎ止めるための制度から、むしろ自立を支援する制度へ。企業側が「辞めたら損」の構造を外しにいく姿勢は、日本型雇用の転換点を示しているようにも見えます。
しかし、ここで大事なのは「良い/悪い」ではなく、「どの会社に、どの世代に、どんな順番で効くのか」です。
「外に出る前提」は、極めてラディカルで、極めて大企業的でもある
外に出ることも前提にした制度は、思想としては筋が通っています。専門性が重くなり、一社完結のキャリアが当たり前ではなくなる。会社も社員も「市場」と無縁ではいられない。とある人材会社の「社内スカウト」の発想も、同じ流れの中にあります。
ただし、この発想は大企業、またBtoC企業だから成立しやすい。
・そもそもブランドが強く人が集まる
・人が抜けても補充できる体力がある
・社内の配置転換や公募の「選択肢」が豊富にある
一方で、中小企業は違います。採用難が続き、知名度も高くない。1人抜けたら現場が止まる。そんな会社も珍しくありません。そういう会社が「外に出るのは仕方ない」と言い切ってしまうと、制度が自立の支援ではなく、退職の背中押しとして機能してしまうリスクがあるのです。
世代によって「自立」の意味は真逆になる
もう一つ制度の成否を分けるのが世代差です。50代以上の多くは「頑張れば報われる」を体験してきた世代です。成長市場があり、会社の成長が個人の待遇に反映される感覚があった。だから「自立」は希望に聞こえやすい。
一方、20〜30代は「頑張っても報われるとは限らない」を前提に社会に出てきた世代です。賃金の伸びにくさ、将来の不透明さ、奨学金や生活不安、SNSでの比較疲れ。そうした背景の中では、「キャリア自立」は自由ではなく、自己責任の増加として響く場合があるでしょう。
ここで若手世代に対して留意すべき点はSAFERモデルです。SAFERとは若手が企業に求める心理的報酬を次の5要素で捉えます。
・S:Safety(心理的安全性)
・A:Assurance(将来の見通し・成長機会)
・F:Fairness(公正さ・納得感)
・E:Empathy(共感・尊重)
・R:Relief(生活の安心)
若手世代において「自立」は、このSAFERが満たされて初めて、希望として立ち上がります。逆に言えば、SAFERが弱い職場で自立だけを掲げると、不安が増幅しやすいと言えるでしょう。
中小企業の現実解は「自立モデル」ではなく「伴走モデル」
中小企業が最初にやるべきは、自立を促す制度ではなく、自立できる土台を整える仕組みです。言い換えるなら、キャリア自立の前にキャリア伴走と言えます。
・心理的安全性(S)をつくる
・育成の見通し(A)を示す
・評価と機会の納得感(F)を整える
・対話と尊重(E)を増やす
・生活面の安心(R)を最低限担保する
そのうえで、段階的に「越境」「スキル可視化」「社外接点」を増やし、本人が自分で選べる感覚を持てる状態にしていく。自立はゴールであって、スタート地点ではないわけです。
中小企業の例①:製造業(BtoB・採用苦戦)で「社内公募」を小さく始める
従業員80名の地方製造業。採用は慢性的に厳しく、若手が入っても3年以内離職が続いていました。そこで「キャリア自立」を掲げるのではなく、まずSAFERのS(心理的安全性)とF(公正さ・納得感)から手を付けた。具体的には、社内でいきなり公募制度を作るのではなく、社内プロジェクトへの参加募集から始めました。
製造現場の改善活動、営業資料の整備、採用広報の手伝いなど、業務を止めない範囲の小さなプロジェクトに手を挙げられる仕組みです。
ポイントは3つ。
・応募条件をゆるくする(S):
「失敗しても評価に響かない」「上司が止めない」を明文化
・評価の扱いを透明にする(F):
「プロジェクト参加は加点、ただし不参加は減点しない」
・学びの見通しをつくる(A):
参加後に得られるスキルを言語化(例:改善提案力、ファシリテーション)
結果として「自立しろ」と言わなくても、若手が“選んで動く経験を積み始めます。これが伴走型の第一歩です。
中小企業の例②:サービス業(属人化)で「スキル棚卸し」と「成長の地図」をつくる
従業員50名のBtoCサービス業。現場は属人化が強く、評価も「頑張ってる感」に寄りがちで、若手ほど不満を抱えていました。ここで効いたのは、立派な制度設計よりも、成長の地図を作ったことでした。
職種ごとに「できるようになること」を3段階に分け、月1回の1on1で「いまどこにいて、次に何を覚えると良いか」を話す。加えて、四半期に一度だけ、本人のスキル棚卸しを一緒に言語化する。これだけです。
SAFERでいうと、
・A(見通し):次に何を伸ばすべきかが明確になる
・F(公正):評価が好き嫌いから離れていく
・E(共感):上司が「あなたのキャリア」を扱う時間が増える
・R(安心):急に突き放される感覚が減り、定着が上がる
キャリア自立は掲げていません。けれど、本人が「このスキルなら社外でも通用するかも」と感じ始めた瞬間、初めて自立は希望になります。中小企業は、ここまでを会社が伴走してつくってあげるのが現実的です。
制度を真似る前に、SAFERを満たしているかを問う
みずほFG「奏」が示したのは、確かに時代の方向性です。キャリア自立というと、ある側面では、退職の背中を押しているように見えますが、キャリア自立を促していくことは会社と社員の相互関係において友好であり、中長期的に人材マネジメントサイクルが機能する/機能していくと言えます。
ですが、大企業の事例をそのまま中小企業に移植しても、同じ成果が出るとは限りません。企業規模、採用市場での立ち位置、そして世代の心理。前提が違うからです。
だからこそ、キャリア自立を掲げる前に、人事と経営が最初に問うべきは、SAFERは満たせているか。
その土台の上に、自立は押し付けではなく、あくまで自分で選べる選択肢としていくと言えるでしょう。
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