多くの企業で課題として語られるキーワードに「サイロ化」があります。縦割り組織が深まり、部署同士が情報共有を行わず、連携が滞ることで、組織全体の成果が下がる。こうした文脈で組織が語られることが多いのではないでしょうか。
しかし、本当に「サイロ化=悪」なのでしょうか。
多くの企業の変革プロジェクトを支援する中で、サイロ化は現象であり、本質的評価軸ではないと強く感じています。むしろサイロ化を単純に「なくすべきもの」と捉える視点は危険であり、組織の構造理解や役割設計を誤らせ、生産性をむしろ低下させてしまうケースすらあります。

サイロ化という言葉が生まれた背景
サイロとは、農業において穀物や資料を保存するタワー型の貯蔵庫を指します。その密閉性から、「外部と遮断された状態」「閉ざされた領域」を象徴する言葉として、組織論に転用されてきました。
企業側の目線で言うと、部署間連携が弱い、情報共有がされない、相互理解の不足、目的ではなく縄張り意識が優先など、ネガティブな現象として語られることが一般的です。メディアや研究記事でも「サイロ化による弊害」は多く取り上げられ、現場担当者も経営者もすっかり「悪者」と認識しているケースが少なくありません。
しかし、この⾒方には重要な視点が欠落しています。
サイロ化と専門性の相関関係
サイロ化は本当に組織の生産性を下げる要因なのでしょうか。答えは「ケースバイケース」。例えば、医療、製薬、システム開発、財務、法務のように、専門性の高い領域ほど、サイロ化はむしろ必然であり、合理的です。
なぜなら、
・専門知識は深度化が求められる
・外部者が簡単に介入できる領域ではない
・過度な干渉は品質低下やミスを生む
・情報や判断基準が統一されていることに価値がある
など。
この構造は、役割設計における「総合職」と「専門職」の違いと非常に近いものがあるといえるでしょう。
総合職 … 広く横断的に判断し、調整し、価値をつくる役割
専門職 … 限られた領域で知識を深掘りし、精度と再現性を高める役割
どちらが良いかではなく、役割と成果構造に応じて適切であるかが重要なのです。つまり、サイロ化とは構造ではなく状態の現れであり、そこに対して良し悪しを付けること自体が誤解と言えるでしょう。
サイロ化が問題になる瞬間
ただし、当然ながらサイロ化が課題となるケースも存在します。
その代表例は以下です。
・目的ではなく管轄意識が強くなる
・他部署の成果に無関心になる
・情報共有が滞り、意思決定が遅れる
・顧客体験が部署ごとに分断される
・属人化が進み、代替不可能性が生まれる
この場合の問題は「サイロ化そのもの」ではなく、目的と役割が共有されていないことです。つまり「組織としての成果観が失われている」ということです。
課題は構造ではなくマネジメントの不備なのです。
協業すれば良いわけでもない
一方で、「サイロ化解消=協業・横連携強化」と短絡的に施策が実行されるケースがあります。
しかし現場では、その結果、
・何の仕事が誰の担当かわからなくなる
・合意形成コストが膨れ上がる
・決裁や承認が遅くなる
・「全員責任=誰も責任を取らない状態」になる
という状況がよく発生します。
協業は万能ではありません。
むしろ協業は、目的、権限、判断軸、責任範囲が明確でなければ成立しません。整理されていない状態で横連携を推進すると、混乱と摩耗が生まれるだけです。
本当に問うべきは「組織の成果構造」
では、組織はサイロ化と協業のどちらを選ぶべきなのでしょうか。その答えは、とてもシンプルです。
成果が生まれているかどうかです。
サイロ化していても成果が出ている企業は存在しますし、協業体制でもパフォーマンスが出ない企業は珍しくありません。重要なのは構造そのものではなく、
・事業戦略と組織設計が整合しているか
・役割と責任が明確か
・情報連携のルールが定義されているか
・評価軸と成果が一致しているか
ということです。
「サイロ化は悪だ」という単純な議論は、企業の状態を正しく捉えることを阻害します。サイロ化とはあくまで組織構造の一側面に過ぎず、そこに善悪のラベルを貼ること自体が本質からズレています。大切なのは、組織がどのような状態であれば成果が最大化するのか。その視点だけです。
組織そのものを問題視するのではなく、成果・戦略・役割・責任の整合性を見つめ直すことこそが求められるのです。組織をデザインするのではなく、組織を通して成果をデザインすることが本質です。そしてそれができる企業こそ、変化の激しい市場において、柔軟かつ強靭な組織として進化し続けられるのではないでしょうか。
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