
「人的資本経営」とは、結局何なのか?
『人材版伊藤レポート』なども発表され、2023年3月期決算から上場企業を対象に人的資本の情報開示が義務化されました。開示データの収集やKPIの設定など、対応に悩んでいる企業様の声も多く耳にしますが、そういった話があがるたびに懐疑的に思っていたことが、冒頭の問いです。
「KPIを開示しましょう」
「開示するだけでなく、そのKPIをどのように高めるか、という道筋を示しましょう」
「企業価値が向上していくストーリーを魅力的にアピールしましょう」
果たして、本当にこれで終始する話なのでしょうか?
正しいKPIを設定して、それを追っていることを投資家に示せば「人的資本経営」を体現していることになるのでしょうか?
もちろん、投資家は重要なステークホルダーですが、正直なところ個人的には「投資家にアピールするため」にやっている時点で本質ではないと感じています。
実際、日本において「人的資本経営」はどれほど進んでいるのでしょうか。
以下は「GDP(国内総生産)に対する人材投資の国際比較」の図です。
図1:人材投資の国際比較(GDP比)
出典:経済産業省「第1回未来人材会議」2021年12月7日開催 事務局資料より
これをみると、日本は圧倒的に遅れを取っていることが明らかです。
日本で人材への投資がなかなか進まないのはなぜなのでしょうか?
ヒントは、経営の『求められる人材マネジメントへの構造変革』と『コミット』にあると考えています。
人材への投資が進まない根本的な要因は、人材マネジメントの仕組みや思想が「人材への投資」をしやすい形になっていないこと。そして、経営が「"人材"が企業価値を生み出す根源である」と本気で考え、強い意志で人事や現場を動機付け、社員を動かすことができていないからではないでしょうか。
本コラムでは、「変化対応力としての人材マネジメント」をテーマに、今こそ経営者が本気でコミットすべき”真の人的資本経営”とはどういうことなのか、日本企業がグローバル競争に勝っていくために企業人事には何が求められるのか、全3回を使って考察します。
グローバル競争においてなぜ「人的資本経営」が必要なのか?
まずは、「人的資本経営」を推進する目的を、改めてきちんとおさえておく必要があります。
これをおさえておかないと、「人的資本経営=とりあえずKPIを開示する」のように目的と手段が逆転してしまうからです。
データからみる日本の世界競争力の低迷とその要因としての「人的資本」
現代は「VUCA」と呼ばれる変動性・不確実性・複雑性・曖昧性に満ちた時代です。
テクノロジーや社会の進化がグローバルに加速するなか、日本企業の競争力低下が大きな問題となっています。
技術革新や社会構造の激変により世界は過去にないスピードで変化していますが、かつて世界1位だった日本は、バブル崩壊後の長期停滞を経てグローバル競争での存在感が大きく揺らいでいます。(図2・3)
図2:IMD「世界競争力年鑑」2024年 総合順位
引用:三菱総合研究所
図3:IMD「世界競争力年鑑」2024年 日本の総合順位の推移
引用:三菱総合研究所
三菱総合研究所が、IMDの「世界競争力年鑑」をもとに独自で分析した、「競争力に影響を与えると想定される8つの潜在変数(統計やアンケートからは得られない変数)」別の世界順位をみてみると、「起業・新陳代謝」が盛んな国では、「法・制度・規制」や「人的資本」「組織資本」「デジタル化」も整備されているという相関関係が見て取れます。そして、「法・制度・規則」「人的資本」のTOP3カ国が、そのまま総合順位のTOP3カ国となっており、これらは「偶然」では片付けられないデータだと考えています。(図2・4)
図表4:IMD「世界競争力年鑑」2024年 各潜在変数の日本の順位と上位10カ国
引用:三菱総合研究所
企業のコアコンピタンスが「構造や技術」から「組織や人」へシフト
ではなぜ、「人的資本」の強化がグローバル競争力へ大きく寄与するのでしょうか。
“コアコンピタンス”とは、「他社に真似できない核となる能力」のことを指します。
これまで、企業が競争に勝つための強みとしては「事業構造や技術」が中心でした。
しかし、クラウドやSaaS の普及で、自社開発のシステムも数ヶ月で他社が同等レベルを導入できるようになる、サプライチェーンのグローバル化も標準化が進むなど、これらは“差別化要因”としては長続きしにくくなっています。
そして最近は、コンサルティングやデザインファーム、ソフトウェア開発企業など、知識集約型のサービス・ソリューションビジネスはますます増加し、企業価値の源泉としての“人”のコラボレーションやクリエイティビティの重要性が高まっています。推進スタイルも、VUCA 時代には、複雑で不確実な環境に対して素早く組織をアジャイルに動かす能力が求められるため、アジャイル開発やデザイン思考を単なる手法ではなく、「学習する文化」として浸透させられるかが、競争力を決めるカギとなってきます。
今後は、「変化対応力としての組織と人」が企業のコアコンピタンスとなり、これを強くしていくことが外部競争力を高めるポイントとなってくる時代が来ています。これこそが、「人的資本経営」の大目的であるといえます。
「人材=資本」になると何が変わるのか
人的資本経営とは、「人材を『資本』として捉え、その価値を最大限引き出し、中長期的に企業価値向上につなげる経営」であり、人材を資本とみなし、投資の対象と考える概念のことを指します。では、人的資本への変化とは何を指しているのでしょうか。
それは、「処遇」の捉え方の変化と言い換えることができます。
これまでは、社員が“労働”し、その労働力の対価として「賃金」を支払っていました。
一方、人的資本の考え方においては、期待する人材に先に「投資」をし、その人材が付加価値を出すことで「リターン」を得るという構造になります。報酬(処遇)の意味合いが、コストから投資へ変わる。
つまり、「後払い」から「先払い」へのシフトといえます。
「人材=資本」という考え方自体は入ってきているが、前述のような根本的な仕組み上のシフトができていない。ここが、日本企業の人材投資が進まないボトルネックの1つだと考えています。
図5:人材=資本への変化は、処遇の捉え方の変化(筆者作成)
人材マネジメントのあり方の変化:“守り”の人事から“攻め”の人事へ
これまでの日本企業の人材マネジメントは、一言で言えば「継続性」のマネジメントでした。
新卒一括採用に代表される「メンバーシップ型雇用」にフィットしやすい、終身雇用、年功序列が特徴であり、将来の見通しが付きやすい環境下では大きな強みとなりました。つまり、「過去」をみて自社における歴史的連続性を重視する、「現状の延長」がベースにある“守り”の人事です。
一方、これからは「戦略性」のマネジメントが求められます。
予測しづらい将来を洞察し、激しく変動する外部環境に合わせて事業戦略を変化させ、それに連動して「採用」「配置」「育成」「処遇」を考え実行する“動的な人材マネジメント”、つまり“攻め”の人事です。
高度専門人材など市場価値が高い人材であるほど市場における流動性が高いため、「人材」が競争力のコアとなった今、外部競争力を担保するには雇用形態を問わない人材調達が必須です。そういった多様な人材の処遇に寄与する仕組みが”ジョブ型”雇用なのです。(こちらはPart2で詳しく解説します)
図6:これまでとこれからの人事のあり方(筆者作成)
日本で「人材投資」がなかなか進まない要因は、多くの日本企業でこの人事構造が変わっておらず、「後払い」から「先払い」へいくらシフトさせようとしてもそれを下支えする仕組みが追いついていないため、求められる人事の姿と現状にギャップが生じている点にあると推察されます。
従来の”日本型”人材マネジメントが、VUCAの時代では変化への対応力や多様性の受容、タレント活用の阻害要因となっているケースが多いため、これを根本から変革していくことが「人的資本経営」を体現するうえでの大きな課題といえます。
Part2へ向けて
今回は、グローバル競争力に寄与する本質的な「人的資本経営」の必要性と、人材投資が進まない要因としての日本型人材マネジメント構造を解説しました。次回は、今後の日本企業に求められる「動的人材マネジメント」のポイントを、”ジョブ型”人事の必要性に触れながら紹介します。
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