はじめに 企業で働く人々にとって、「人事評価」は自身のキャリアに大きく影響する重要な制度です。そしてその評価結果に基づく「登用」や「昇格」は、個々人の働き方やモチベーション、組織全体の活力に直結します。 しかし、評価や登用に対して「なぜあの人が昇格するのか」「自分の方が成果を出しているのに」といった不満や納得感の欠如が現場で起きることも少なくありません。このようなジレンマは、実はビジネスの世界に限らず、スポーツの世界にも通じるものです。たとえば、サッカーや野球などのチームスポーツにおける「スタメン選考」や「代表選出」では、ファンや選手の間で「なぜあの選手が?」「あの選手が選ばれなかった理由は?」と議論が巻き起こります。
スポーツの世界と企業の人事、異なるようでいて、その本質は「組織のパフォーマンスを最大化するための人材選び」であるという点で共通しています。 本稿では、スポーツにおける選考と企業における登用・昇格の意思決定プロセスを比較しながら、「納得感のある登用・昇格」について考察します。

スタメン選考の基準:成果よりもプロセスや期待値?
選手の選考は単なる結果主義では成り立ちません。 たとえば、ワールドカップ前のサッカー代表選考では、得点王が外れ、控え選手が抜擢されることがあります。これは、戦術へのフィット感、チームとの相性、メンタルの安定性など「期待値」を重視しての判断です。企業においても、営業成績トップの社員がマネージャーに登用されないケースがあります。その理由は「その成果が属人的なものであり、次のポジションで求められる能力(たとえばマネジメント力や戦略的思考)が発揮されるかどうかが未知数であるため」です。
このような場面では、「プロセス評価」と「期待値評価」が重要です。プロセス評価とは、成果に至るまでの思考、行動、協働などを評価すること。期待値評価とは、次のポジションで活躍できる見通しを立てることです。この観点は、スポーツでの「卒業要件(今の役割をやり切ったか)」と「入学要件(次のポジションにふさわしいか)」に置き換えて考えると、より納得しやすくなります。
チームのための選考:個人の能力 × 組織全体のパフォーマンス
スタメン選考では、個人の能力が高くても必ずしも起用されない場合があります。たとえば甲子園常連校の監督が、強打者を下位打線に置いたり、控え投手を先発に起用したりするのは、チーム全体の戦略とバランスを考えての判断です。企業でも、能力的には昇格にふさわしい人材がいても、チームの相性やプロジェクトのバランスを重視して別の人材を登用するケースがあります。このとき、最も重要になるのが「なぜその選考がなされたのか」の説明と納得感です。 選定基準が組織全体のパフォーマンス向上であるからこそ、選考理由が不明確なままでは、結果として現場の士気やチーム全体の成果にも悪影響を及ぼしかねません。
納得感のカギ:個人の貢献 × 周囲への影響
バスケットボールやバレーボールなどのチームスポーツでは、スコアに表れない“縁の下の力持ち”のような選手が重要な役割を担います。たとえば、リーダーシップ、声かけ、フォロー、プレーのリカバリー、練習中の士気向上など、目に見えない貢献がチームの安定に寄与しています。企業でも同様に、数値に表れないがチーム内で絶大な信頼を得ている人材がいます。とある製造業では、現場で部下を守り、他部署との調整に尽力してきた社員が、マネージャーに抜擢されました。その決定の背景には、「周囲への好影響」「信頼性」「メンタル安定性」などの観点がありました。こうした“見えない力”を評価制度に明示的に取り込むことが、納得感のある登用を実現する鍵となります。
登用・昇格のジレンマと「意思決定の構造」
ここまで見てきたように、登用や昇格におけるジレンマは、主に以下の要因から生じます。
- 個人の成果や能力と、組織全体の最適解が一致しない場合がある
- 優秀な人材であっても、状況やタイミングにより登用できないことがある
- 昇格判断は、将来の期待値や組織課題の影響を強く受ける
このような背景があるからこそ、意思決定プロセスを透明にし、「なぜその人が選ばれたのか/見送られたのか」を明文化・説明可能にすることが重要です。
具体的には、以下の観点が意思決定を構造化するうえで重要になります。
- 卒業要件/入学要件:現職での役割をやり切ったか、新しいポジションで求められる資質を備えているか
- プロセス評価:成果だけでなく、行動・協働・改善姿勢なども含めて評価する
- 期待値とリスクの評価:将来のポジションで活躍する可能性と不確実性を見極める
- 説明責任:選考理由を明文化し、対象者や周囲に共有できる体制を整える
組織で活かすための仕組み
スポーツ的な視点を人事制度に取り入れ、ジレンマを乗り越えるためには、以下のような制度設計の工夫が必要です。
任期制・ローテーション制の導入
一度登用された役職でも、一定期間後に見直しを行う「任期制」や「ローテーション制」を導入することで、そのときの戦術(事業戦略)に最適な人材を常に再考する仕組みができます。昇格を「功労」や「報償」と捉えると、適材適所を維持しにくくなります。「今の組織にとって、最もパフォーマンスを発揮できる配置は何か」を問い直す文化を育むことが重要です。
登用基準の明確化と説明責任の仕組み化
評価項目に「成果」だけでなく「行動特性」「周囲への影響」「期待値」などを含め、それを評価シートや説明文書として明示すること。これにより、上司と部下の間、組織全体の間で納得感が共有されやすくなります。
登用・昇格時の事前期待値コミュニケーション
昇格・登用を行う際には、事前に「なぜ今この人なのか」「どんな役割を期待しているか」を丁寧に伝えることで、本人の覚悟と周囲の理解を醸成しやすくなります。これは、スポーツにおける監督から選手への声かけと同じです。
おわりに
スポーツのスタメン選考には、成果だけでは測れない多様な要素が含まれています。戦術に合った人材の配置、チームバランス、メンタル面、練習への取り組みなど、それらはすべて「勝つため」に必要な要素です。企業も同様に、事業目標の達成や組織成長のためには、単なる実績主義ではなく、期待値や影響力を加味した登用・昇格が求められます。そのためには、「評価」と「登用・昇格」を分けて考える視点と、それを社員にわかりやすく伝える仕組みが必要です。そして、すべての判断にはジレンマがつきものですが、そのジレンマの存在を開示し、誠実に向き合う姿勢こそが、最終的に組織の信頼につながっていくのではないでしょうか。納得感のある登用とは、単なる制度設計ではなく、評価と育成、戦略と人材、現実と理想の狭間でバランスを取り続けるマネジメントの知恵の結晶なのです。
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