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はじめに:2026年、「 Visibility(可視化)」の先にあるもの
2026年も中盤に差し掛かり、人的資本経営を巡る議論は大きな転換点を迎えています。前号では、AIエージェントが単なる「道具」から「共創のパートナー」へと進化した衝撃と、そこで問われるスキルの「実(実態)」の証明について論じました。多くの企業が、SP総研の独自指標SPI(Sustainable Performance Index)という「鏡」を通じて自社の現状を直視し始め、形骸化した「開示のための開示」という墓標を積み上げるステージを脱しつつあります。
しかし、現場で実装を進める経営者や人事リーダーの皆様から、今最も多く寄せられる悩みは、「具体的にどうやって組織のOSを書き換えるべきか」という点です。
戦略は描いた、ツールも入れた。だが、従業員一人ひとりの行動変容や、経営戦略へのダイレクトな貢献が見えてこない。
この閉塞感を打破するために必要なのは、欧米流のマネジメント理論を盲信するのではなく、日本企業の実態に即した「実装の解像度」を上げることです。昨年末からのイタリア視察で見えてきた欧州の「スキル共創モデル」と、私が「SP総研 Daily Update」で発信し続けてきた「日本流・人的資本経営の最適解」を交え、本質的な社会実装への道筋を提言します。
【脱・To-beの罠】「逆算」ではなく「積み上げ」のマネジメントへ
日本企業が人的資本経営で挫折する最大の要因、それは「To-beモデル(理想像)からのバックキャスト(逆算)」に固執しすぎることです。
一般的に、戦略人事の世界では「経営戦略から必要な人材ポートフォリオを定義し、現状とのギャップを埋める」というトップダウンのアプローチが正解とされます。しかし、この「逆算の論理」には大きな罠が潜んでいます。多くの企業において、描かれる「理想のポートフォリオ」は往々にして、現場のリアリティから乖離した「空虚な理想論」になりがちだからです。
不確実性が極まった現代において、2年後、3年後の「理想のジョブ(箱)」を完璧に定義することなど不可能です。無理に箱を固定化しようとすれば、かつて濱口桂一郎氏が指摘した「OSとアプリのねじれ」——すなわち、メンバーシップ型という古いOSの上に、欧米流の硬直的なジョブ型というアプリを載せてシステムがフリーズする悲劇が繰り返されます。
2026年の今、私たちが目指すべき「北極星」は、あやふやな未来からの逆算ではなく、今ここにいる従業員一人ひとりが持つスキルの「積み上げ(Stacking)」です。
「何をするか(理想のジョブ)」は頻繁に変わりますが、「何ができるか(保有スキル)」という土台が厚く、かつ詳細なスキルの単位で可視化されていれば、戦略の変化に合わせて即座に人材を組み替える「ダイナミック・ケイパビリティ」を発揮できます。人的資本を「アセット(過去の資産)」として管理するのではなく、今あるスキルの熱量を最大限に高め、それを連結していくボトムアップの力こそが、日本企業が再成長するためのエンジンとなります。
戦略人事の「致命的な欠落」:空虚なスーパーマンと「適性」の罠
この「積み上げ」を阻害しているのが、日本企業の人事がいまだに固執する「適性」という曖昧な指標です。
多くの「戦略人事」の現場では、ホワイトボード上に「DX推進を牽引し、マネジメント能力も高く、かつ当社の文化を熟知した人材」といった、実在しない「空虚なスーパーマン」が量産されています。そして、適性検査のスコアを元に「この人はリーダーに向いている、いない」といったレッテルを貼り、人を配置しようとします。
しかし、SPI(Sustainable Performance Index)の視点で見れば、こうした性格特性や資質に基づく「適性」の管理は、人的資本経営においては極めて脆弱な指標と言わざるを得ません。なぜなら、「適性」は本人の努力やテクノロジーの活用によって容易に上書きできない「変えられないもの」であることが多いからです。
一方で、「スキル」は新たに獲得可能な「投資対象」です。ある業務において、AIエージェントという「翼」を得ることで、これまで「適性がない」とされてきた人が、プロフェッショナルとして劇的な成果を出すケースが2026年の現場では続出しています。
人事が注目すべきは、抽象的な「人間性」や「適性」ではなく、その人が具体的にどのような「タスク」を「どのレベルのスキル」で遂行し、そこにどれだけの「Will(意志)」が乗っているかです。適性という名のバイアスを排除し、スキルという「共通言語」で人を捉え直す。この解像度の転換こそが、戦略人事から「実装人事」へと進化するための第一条件です。

ライフサイクルを通じたスキルのインフラ:新卒からシニアまで
「ガクチカ」の限界と、イタリアが突きつけるミスマッチの現実
2026年、新卒採用の現場でも「ガクチカ(学生時代に力を入れたこと)」という名の、ストーリーの美しさを競う儀式は限界を迎えています。昨年末に訪問したイタリアでは、若年層の失業率が高く、学歴と実務スキルの「ミスマッチ」が深刻な社会問題となっていました。イタリアの教訓が教えてくれるのは、社会に出る前の「実(実態)」の証明がいかに重要かという点です。
我が国においても、ポテンシャルという名の「白紙」を採用する時代は終わりました。これからの新卒採用に求められるのは、GitHubのコードやインターンシップでの具体的なアウトプットといった、スキルの「エビデンス(証拠)」です。AIエージェントが瞬時に情報を分析する時代において、美辞麗句で飾られた「過去の物語」はすぐにハルシネーション(もっともらしい嘘)として見破られます。
企業は、学生がどのような詳細なスキルを持ち、それが自社のどの戦略的タスクに接続できるかを、データに基づき「見極める」インフラを整えなければなりません。
60歳からの「スキル・サバイバル」:OSのライフシフト
一方で、深刻な課題となっているのがシニア層のキャリア再設計です。60歳、あるいは65歳定年という「所属(メンバーシップ)」の終焉を迎えたとき、多くのシニアが「自分には何のスキルもない」という現実に直面し、立ち尽くしてしまいます。
これは、彼らの能力が低いわけではなく、組織というOSに依存しすぎた結果、自らの価値を「社外でも通用する詳細なスキルの単位」に翻訳する術を持たないことが原因です。
イタリアでは、エミリア・ロマーニャ州の自動車産業クラスターのように、スキルを1社の所有物ではなく「産業全体の共有財産(コモンズ)」として捉え、地域や産業全体でスキルを育む「共創」の仕組みが存在します。彼らにとってスキルは、組織を超えて生き抜くための「サバイバルツール」です。
日本企業も、シニアを「コスト」として再雇用するのではなく、長年の経験から「詳細なスキル」を抽出し、AIを活用して最新のテクノロジーに適応させることで、一人のプロフェッショナルとして「再定義」する責務があります。ライフ100年時代、スキルは一生涯の「資本」なのです。
【実践】「囲い込み」から「共創」へ:越境学習が拓く新地平
では、組織内に閉じた学びで、この「スキルの資本化」は実現できるのでしょうか。私は、近年日本企業に増えている「企業内大学(Corporate University)」の在り方に強いアンチテーゼを唱えます。
一社完結型の「自前主義」による学びは、往々にして「自社専用スーパーマン」を育てるための囲い込み戦略に陥ります。しかし、外の世界を知らず、社内政治の機微だけを磨いた「会社人」が、非連続な変化に対応できるはずがありません。
2026年の最先端を行く企業(例えばSPIで高得点を叩き出したPHONE APPLI社など)は、テクノロジーをインフラとして埋め込みながら、同時に「社外の風」を意図的に組織に取り込んでいます。
ここで重要になるのが「越境学習(Cross-border Learning)」です。SP総研は、仕事旅行社との提携を通じ、「ジョブ定義 × 越境体験」という新たなキャリア自律支援プログラムを提案しています。
このプログラムの真髄は、以下の3フェーズにあります:
- フェーズ1(内省): 自らの仕事を「詳細なスキルの単位で」定義する「セルフジョブ定義」のワークショップを実施。
- フェーズ2(越境): 異業種・異職種の現場に飛び込み、自らの価値観を「揺さぶる」体験をする。
- フェーズ3(再定義): 外の世界で得た気づきを元に、自らのジョブとスキルを「更新」する。
「越境」とは、単なる楽しい社外体験ではありません。自社の中では「当たり前」とされていた自分のスキルが、外の世界でどう評価され、何が足りないのかを突きつけられる「鏡」です。この「揺さぶり」を経て初めて、従業員の内発的なWill(意志)が覚醒し、本物のリスキリングが始まります。
ROIの証明:SPIという共通言語が組織を変える
こうした越境学習やAI導入、シニア活躍といった「人的資本投資」が、単なる「良い経験」や「福利厚生」に終わっていないかを厳格に測定するのが、SPI(Sustainable Performance Index)の役割です。
投資家や経営層は、もはや「研修満足度」や「eラーニング受講率」といった表面的な数字には興味がありません。
「今回の越境体験によって、具体的にどのスキルが何%向上し、それが新製品開発のスピードアップや、顧客満足度の向上にどう繋がったのか」
「AIエージェントの導入によって、間接部門の工数がどれだけ削減され、浮いた時間が戦略的R&Dにどれだけ配分されたのか」
SPIの17の評価項目は、こうした「因果の連鎖」を白日の下にさらします。人事が「知的資本の投資家」へと進化するためには、熱意やポエムではなく、こうしたROI(投資対効果)を共通言語として経営と対話しなければなりません。
特に、AI活用においては「AI活用成熟度モデル」等を用いることで、単なるツールの導入ではなく、組織としてのプロセス能力の進化を可視化することが可能です。初期レベルの「業務完結期」から、成熟レベルの「自律経営期」へと階段を登るごとに、人的資本の価値が財務諸表上の数字へと変換されていく手応えを感じられるはずです。

おわりに:持続可能なパフォーマンス(SP)の担い手として
2026年、人的資本経営は「理想の物語」を語る段階を終え、いかに「実」を社会に実装し、成果を出し続けるかという、より厳しく、しかしやりがいのあるフェーズに入りました。
「所属」を誇り、組織に守られることを期待する時代は、もう戻ってきません。私たちは誰もが、自らのスキルを武器に戦うプロフェッショナルであり、同時に、互いの可能性を拡張し合う共創のパートナーです。
SP総研が提唱する「Sustainable Performance(持続可能な働き方)」の本質とは、個人が心身の健康と自律したキャリアを両立させながら、そのスキルが組織と社会の価値へとダイレクトに変換され続ける、淀みのない循環を創ることにあります。
形骸化した開示の墓標を積み上げるのは、もう終わりにしましょう。SPIという温かくも冷徹な「鏡」を使いこなし、AIという強力な「翼」を得て、一人ひとりが主役となる新しいマネジメントの地平へ。
皆様の組織において、真の「北極星」が見つかることを信じています。共に、この不連続な時代を楽しみ、切り拓いていきましょう。
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