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人事制度の構築や浸透化、人材育成を数多く手掛けている経営コンサルタントが執筆する「コラム:人事屋のひとりごと」。登場する組織はフィクションです。人事屋の視点と分析をちょっと毒入りの読み物としてお楽しみください。
そう語ってくれたのは、新規事業を手掛ける部署であるプロダクト開発部の部長だ。穏やかな微笑の奥に“波風を立てないベテランの風格”が感じられる。なるほど、昇格の要件は「時間と沈黙」なのか。組織にとっては文句を言わず、黙々と働いてくれる人が重宝されるということか。
先ほどの「まさに変革期だ」と話してくれた取締役のトーンとは、ずいぶん温度感が違うが、現場の暗黙知を最も正確に表現した言葉だろう。挑戦より失敗しないことに重きを置く組織で、探索の旗は重過ぎて振れないかもしれない。
この会社は創業45年の部品メーカー。職人技と精度の精巧さ故に取引先からの信頼が厚く、営業しなくても注文が舞い込んでくる。しかしそれも、昨今の技術革新と業界構造の変化で次なる新製品を開発しないことには、先細りが見えてきた。
この会社の等級制度は、
- 1等級は図面が読めること
- 2等級は工作機械が使えること
- 3等級は部品の検査ができること
両利きの経営で言うところの「深化」を進めるための制度であり、「探索」を進める人は評価されない。創造的な人ほど、制度のどこにも位置づかない仕組みになっている。つまり、未知のことにチャレンジした人のための居場所は、等級制度の中にはない。どうやら探索型の人材は、等級外生物の扱いだ。
中堅クラスの主任の言葉は心強いが、その目に覚悟は感じられない。言っていることと、思っていることは異なるのだろう。きっと主任の目に映っているのは、失敗を経験しながら挑戦し、昇格した人ではなく、自分が磨いた技能を丁寧に後輩に教える模範生。つまり、自分ができることを丁寧に教えてきたが、そもそも失敗という概念のない中で成果を認められた人たちと見えているだろう。心の声を代弁するなら、多分こうだ。
「挑戦して褒められた人なんて見たことがない。どうせ失敗したら叱られるし、頑張ったら仕事が増えるだけ。それなら、波風なんて立てず、黙っているのが一番だよ」この会社では、「やる気がある人は、仕事が増える人」と捉えられているらしい。
確かに、これまでの深化戦略は功を奏してきた。
これまで効率化、改善、技能伝承といういわゆる「深化」を追い続けてきた会社にとって、新規事業、提案営業、新技術習得のような「探索」への転換は、まさに組織変革であることは間違いない。でも、現場の社員たちは、外部の環境変化を感じにくく、なぜ組織を変えなければならないのかについて、腹落ちはしていない。
優秀な社員でさえこうつぶやく。
「うちの組織に変化は合わないと思うんですよ」
「せっかく積み上げてきた組織のよいところが失われたら困る」
まるで、砂漠の真ん中で「雨が降ると屋根が傷む」と心配しているようなものだ。雨が降らない場所で、屋根の防水を気にするとは。水の確保の方が優先である。
このままの等級制度を運用し続ければ、探索は進まない。
しかし、探索を評価しようとすると、現場からは不満の声があふれ出るだろう。
「結局は手を挙げたら忙しくなるだけでしょう?」
「勝手なことをしたら、叱られますよね」
「ただでさえ忙しいのに、挑戦なんてしている暇ないよ」
これらは全て、これまでの等級制度が育ててきた価値観そのものだ。「挑戦しない方が安全」「変化に手を出すと火傷する」―制度が無言で伝えてきたメッセージは、現場の社員の規範に根付いている証拠だ。
変化に不安が生じるのは、当然かもしれない。
挑戦の定義は曖昧だし、失敗すれば当然責任も生じるだろう。これまで圧倒的な商品力で市場から評価されてきたんだ。利益を上げるには、深化はよい策だ。不安をつくり出している要素を分類し、一つ一つ対策を立てていくことが必要だろう。
忘れてはならないのは、人は変化に反対するのではなく、変化の進め方に反対するケースが多いのだ。
未知なる「挑戦」が持つ曖昧さに対する不安、さらにかかるであろう業務負荷への懸念、過去の経験からくる不安。これら全てに対応する秘薬はない。だからこそ、期待される成果の再定義が求められる。失敗を許容するだけではなく、成果とは何かをトップから明確にメッセージすることが必要だ。また、新制度になったときに、どのような人を評価して昇格させるのかは誰の目にも明らかなメッセージだ。組織が求める成果を再定義し、求める成果を出す人材に対して、隠しようのない手段で報いること。
「今期の大失敗コンペティション」もいいかもしれない。大きな失敗を皆で笑い飛ばすためにお祭り騒ぎで実施している会社もある。失敗をしないことではなく、どんな失敗を、どんなふうに次につなげるのかが大切だという思いを込めて。このメッセージが伝われば、組織に探索の火を灯すことにつながるかもしれない。
人事制度というものは、静かに人を育てもするし、静かに人を委縮させたりもする。毒にもなるし、薬にもなるのだ。
処方を誤れば、探索型人材がまた一人去るかもしれない。
制度は強くて、怖いところがある。
効きすぎても、副作用が出ても、文句を言わない。まるで口をきかない薬草のようだ。
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