2022年中頃から始まった大規模な物価上昇に伴い、経済界およびビジネス界では従業員の賃金が話題となる機会が増えました。アルバイトやパートの最低賃金アップについては行政単位で積極的な取り組みが行われていますが、正規雇用を中心とした社員の賃金については企業に委ねられているというのが実情です。そこで今回は企業が効果的な賃上げを実現するために知っておきたい賃上げの種類、賃上げのメリットやデメリットを紹介します。
賃上げの種類
企業が主体となって行う賃上げには大きく分けて「ベースアップ」と「定期昇給」の2種類があります。状況によって適した賃上げ方法は異なるので、ますはこの2つの違いについて見ていきましょう。
ベースアップ
ベースアップとは社内の従業員すべてを対象として、一律で基本給の金額を上げる賃上げ方法です。上昇分の賃金は一定の金額を上乗せするパターンと、上昇させるパーセンテンージを現状の給与にかけて算出するパターンがあります。ベースアップはあくまで「基本給」を底上げするものであり、各種手当てや加給については対象となりません。また、企業が独断でベースアップに踏み切るというよりも、労使の間で賃上げに関する協議を行う「春闘」と呼ばれる会合で賃上げ率を決めるのが一般的です。ベースアップはしばしば「ベア」という略称が用いられるので併せて覚えておきましょう。
定期昇給
定期昇給とは社内の経営層や人事部が各従業員の能力・成績・仕事ぶり・勤続年数などを定期的に査定し、一定の水準を満たしていると判断した場合に賃金を上げるという方法です。賃金が上がるかどうかは当人の頑張り次第である側面が大きく、すべての従業員が定期昇給によって収入アップする訳ではありません。基本給が底上げされることもあれば、職責給や能力給など各種手当てが上がるケースもあります。仕事の成績や地位を加味して賃金が上がるものが「考課昇給(査定昇給とも言う)」、年齢や勤続年数に応じて加給されていくものが「自動昇給」です。企業によって年間の査定回数やタイミング、昇給率の設定は異なります。また、年功序列によって給与が決まる風習が長く根付いていた日本においては、「定期昇給」という言葉そのものが自動昇給のような意味合いで用いられることもあるので注意しておきましょう。
賃上げと関係が深い春闘とは
春闘の正式名称は「春季闘争」であり、日本労働組合総連合会(連合)・全国労働組合総連合(全労連)・全国労働組合連絡協議会(全労協)といった労働組合の全国組織が中心となって企業間との条件交渉を行う労働運動です。通例2月頃から本格的に開始されるこの運動は、ベースアップやボーナスなどの賃金交渉が主な内容となっていました。しかし労働環境の過酷さがニュースなどで取り上げられるようになってからは、労働時間や休暇制度といった働きやすさ・ワークライフバランスについての交渉も積極的に行われているのです。
日本では企業ごとに設けられた労働組合が賃金や条件の交渉を行うケースが一般的となっていましたが、労働組合側の交渉力や企業の対応の差が大きく開くという問題点も抱えていました。そこで1954年に5単産と呼ばれる産業の垣根を超えた組織が誕生し、翌1955年にはさらに3つの組合が参加して8単産共闘会議となります。1955年から本格的に企業間との春闘が開始されることとなり、労働者側の訴えや希望を企業に大きな力で伝えられるようになりました。
春闘は基本的に大企業への交渉から始まるとされています。これは企業体力の大きさや事業成長の順調さが顕著である大企業であれば組合側の条件提示を受け入れてくれやすく、後々の中小企業との交渉において実例を材料に出来るためです。春闘の結果は毎年厚生労働省や経団連によって公表されているため、ビジネスシーンに与える影響は小さくありません。
日本の賃上げ状況
日本は長きにわたって賃金が適切に上がっていないとされています。では実際のところはどのように推移しているのか、ここではデータを交えながら見ていきましょう。
賃上げ率の推移
労働者の給与事情を推し量る1つの指標として「賃上げ率」というものがあります。これは春闘の結果を受けて労使間で結ばれた賃金引上げ率の平均値のことです。厚生労働省による「民間主要企業春季賃上げ要求・妥結状況」および経団連の「春季生活闘争回答集計結果」によると、2023年における平均賃上げ率は3.69%となりました。この数字は2022年から始まった大規模な物価上昇に企業が対応した結果であり、実は賃上げ率が3%を超えたのは1994年の3.13%以来30年ぶりのことです。日本の賃上げ率は2002年を境に2%を切る低い水準が続き、2%台を回復したのは2014年となりました。その後は2022年まで緩やかに2%スレスレを推移し、2021年には新型コロナウイルスの影響もあって1.96%まで下がっています。
厚生労働省による「2020年家計調査」によれば、日本人の年収中央値は約437万円です。これを単純計算で12等分すると約36万円となり、平均賃上げ率の2%は月収にしておよそ7000円前後となります。国単位の経済成長や国民生活の豊かさを助長出来ているかと言われると、難しいところと言えるでしょう。また、2022年にアメリカのコーン・フェリー社が公表した資料によると、世界各国では3%から6%の水準で賃上げが行われていることが分かっています。内政や経済事情は地域によって大きく異なるため一概に比較することは難しいですが、先進諸国を見ても日本の賃上げ率は低い水準となりました。
ベースアップの動向
日本はベースアップの取り組みが特に鈍いとされて来ました。基本給はすべての従業員に適応されるため、一度上げてしまうと引き下げることが難しいためです。実際、経団連による「昇給、ベースアップ実施状況調査」ではベースアップによる賃上げ率は1996年時点で0.8%、2000年には0.1%まで下落し2009年・2010年に至っては0.03%となっています。しかし2010年代に入ると状況が変化し、ベースアップに積極的な企業が増え始めました。
厚生労働省の「賃金引上げ等の実態に関する調査」では2012年頃よりベースアップの実施率が上昇傾向となり、2014年から2020年まで一般職に対するベースアップ実施率は25%前後(2019年は31.7%)で推移していることが報告されています。2021年には17%台まで下落するものの、2022年には再び29.9%まで回復しました。賃上げ率と実施率では性質が異なるため一概には言えませんが、企業間でベースアップの重要性が認知されていることは事実と言えるでしょう。
賃上げのメリットとデメリット
企業が賃上げに踏み切る際は、それによるメリットデメリットをしっかり考慮した上で判断することが大切です。以下では賃上げのメリットとデメリットについて解説します。
メリット1.従業員のモチベーション向上
賃上げによって給与が増えれば、従業員の生活水準向上が期待出来ます。プライベートの充実は仕事のパフォーマンス向上にも繋がり、資格取得や技能習得など意欲的に仕事に臨む従業員も増えるでしょう。納得出来る待遇で働かせてくれる企業は従業員の定着率も高いため、転職などによる人材流出防止も期待されています。
メリット2.人材獲得に有利
賃上げは既存の従業員だけでなく、自社に興味を抱いている求職者に対しても有効なアプローチです。従業員の働きを適切に評価して給与を設定している企業は就職・転職市場で人気が高く、多くの人材から応募が集まります。少子高齢化に伴う生産年齢人口の減少から、業界を問わず慢性的な人材不足に悩む企業は少なくありません。優秀な人材をいち早く確保するためには、分かりやすく待遇を良くするのが効果的なのです。
デメリット1.雇用萎縮
賃上げは人材採用に有効な反面、加減を間違えると逆に雇用萎縮に繋がる可能性もあるので注意が必要です。企業経理において人件費は一般的に固定費として扱われます。固定費は事業の売上に関わらず一定額が必要となる経費であるため、柔軟に増減させることが難しい部分です。安易な賃上げによって固定費である人件費がかさんでしまうと、新しく人を雇う余裕がなくなってしまう可能性があります。事業の成長性や企業規模などを踏まえて、無理のない範囲で賃上げを実施することも大切です。
デメリット2.設備投資の縮小
企業は人件費が増加すると、その一方でどこか削減出来る費用がないか探す傾向があります。そしてそのターゲットとなりがちなのが設備費です。会社で使う備品やマシンの買い替え・買い足しは従業員が快適に業務を遂行するための重要な要素となります。場合によっては古くなった備品や設備を使い続けることで、生産性が下がってしまう可能性もあるでしょう。賃金が上がっても仕事の環境が良くなければ、従業員のモチベーション向上は期待出来ません。賃上げは経費全体のバランスを見ながら慎重に検討しましょう。
賃上げは日本経済の成長を担う重要ポイント
厚生労働省や経団連のデータからも分かるように、日本の賃上げ状況は世界的に見てもあまり芳しくないというのは事実でしょう。実情に応じた経営判断が重要ですが、従業員の賃上げが成功すれば労使共にwin-winの成果が得られます。賃上げによる従業員の生活水準向上や企業の人材戦略は、日本経済全体の成長にも繋がるでしょう。経費のバランスと適切な給与水準を見極めて、効果的な賃上げを実現させましょう。
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